聞こえよがしに悲嘆をさけぶ

7枚綴り


2008年01月17日(木)

9月に入り、異常と言えるほどの暑さも落ち着いてきた。
この季節を信吾は嫌いではない。
9月も半ばに入ると、秋が顔を出し始める。
湿度がぐっと下がり、あんなに背中にべったり張り付いていたシャツも
素っ気無くなる。

真夏には、只うなだれて猛暑をやりすごすのに邁進したが、
夏が少しづつ終ろうとしているのを実感できると、
秋の心地よさを想像し、待ちわびる余裕ができる。
昼はさすがに暑いが、夜になると日々秋が近づくのを実感できる。
タバコに火をつけてゆっくりと帰路をたどり秋を想う。
9月の頭からの半月ほどは、真吾にとってはそういった時分である。

信吾が会社から帰宅すると
母と妹の恵美が晩酌をしていた。
恵美も今年24になるが、大学を留年して
今年が卒業の年度である。
夏を過ぎても就職活動をする気配はなく、両親ともに気を揉んでいた。
晩酌の話題はどうやらそのこ事が主題のようだった。
「デザインの専門学校に行こうと思うの、
やっぱり、私にはデザインしかないと思うのね、
この成徳デザイン学校ってね、有名なデザイナーも出ていて、
3年かかるんだけど、じっくり勉強して、即戦力になるスキルがつくの、
学校に色んな業者のOBもいるからデザイン関係の人とのコネも
作っていけるし、デザイナーとしての就職率も他よりもずっと高いのよ」
母に発言をさせないようにしたかったのか、
とにかく自分の主張を切れ間なくざらりと机の上に並べると、
恵美はコップの中のビールを一息で飲み干した。


母は
どんな学校なの、費用はどうするの、お父さんそれで納得するかしら
そんな言葉を連ねて恵美の主張を鵜呑みにはしない姿勢を見せながらも
安堵の顔を隠しきれていなかった。
娘に引き続き肩書きがつく。
そういう世間への格好がついたこともそうだが、
何より娘の将来にある程度方向性が出たことが
嬉しいのだろう。

それにしても、恵美の先ほどの発言は
きっと学校のパンフレットの文章をコピーして貼り付けただけの
具体性がない、都合の良い情報に感じた。

***

「兄貴は夢が持てないんだね」

信吾が就職活動をしている頃、恵美にいわ
いわれた言葉である。
恵美は昔から
「キャラクターデザイナーになる」
とことある事に言っていた。
子供の文房具に書いてあるマスコットキャラや
市役所からくる通達所に描かれてあるようなものの類である。

信吾にも夢中になっていたものはある。
高校の頃から続けていたドラムである。
高校の文化祭の為に集まった面子で、
大学になってからも続けて、いくつかの大会で
何度か表彰台に上がるほどの腕を見せていた。

しかしメンバーが皆、有望な大学に入っていた為に
「プロを目指そう」
という言葉は飲み会での願望まじりの冗談でしか出てこなかった。

就職活動が本格化する大学4年の頃には、メンバーは
つぶしの利く就職先を求めてスーツに袖を通し始めたのである。

そんなみんなの様子を見てから、
信吾もスーツを拵えた。

そんな真吾をみて恵美は
ドラムやりたいんでしょう
なんでチャレンジしてみないの 
やる前から諦めてどうするの
と攻め立て

バンドで食えるわけないだろうと応えると

「兄貴は夢が持てないんだね」

といったのだ。

活発で饒舌な恵美と違い、
信吾は朴訥として無口な性質である。
恵美に言い返そうとしてもうまく言葉にならなかったが、
恵美の言う「夢」という言葉には違和感を感じていた。


****

信吾が大学2年の頃である。
所属していたバンドサークルの先輩が
二人で飲んでいたときに儲け話を信吾に持ちかけてきた。

「矢谷ってしってる?俺が所属してるゼミの教授なんだけどさ
あの人しょっちゅうTV出て色々コメントしてるでしょ。
それで今度あの福島書店と共同で
新資格を立ち上げることになったらしいんだよ。
高齢化社会になって介護士が増えていく中で、
介護の質が問題になってるだろ、
そういった介護の会社の監査をする為の資格なんだ。
で、その資格が普及していく為には実績がなきゃみんな注目しないわけで、
まあ分かりやすく言えばその実績の為のサクラなんだけどさ、
資格保持者になってくれる人をあの人が募集しているんだ。
半年の講座を受けて、テストを受ければ資格が取れるんだけど、
そのサクラの人たちは別に講座もテストも受けなくても
その資格をもらえるわけ。
福島書店もかなり力入れてるから、
その資格保持者として登録させてくれれば
報酬を40万だすって言ってるんだよ、
ただこの話が俺に回ってきたのが大分後らしくて、
その申し込みが明後日までなんだ。
あと定員二人だから、俺と、良かったらお前もどうかなと思ったんだよね。
いやなら無理しないでいいよ、他をあたるからさ。どうする?」


その頃の信吾は練習用スタジオの
割り勘代やさばき切れない
ライブ券のおかげで
切り詰めきった生活だった。
40万も入れば当面活動の資金に苦しめられることもないし、
もう大分無理をしているドラムも新調できる。
そういった良いことづくしのイメージが強く信吾の頭を焼いたので、
二つ返事をしたし、その後に思い出したように先輩が言った

「で、その講座の料金とテスト代が合わせて12万するんだよ。
こればっかりは正規の手続きでやらないと
講座の学校にもテストにも証拠が残らないからさ。
その12万を含めて40万なんだけど、それでもいい?」
といわれても
すっかり40万の使い道ばかりを考えていた。


夏の休みで稼いだバイト代、それに親に借りた3万を合わせて
先輩に渡し、連絡を待った。
信吾の手元に残っていたのは生活費の1万3千円になった。
その後何度か部室で先輩と顔を合わせ、
「もう少しらしいぞ」
などという話を聞かされていたが
金を渡してから1月あたり後から、ふっつりと
先輩は姿を消した。

そこから半月くらいはのんびり構えていたが、
更に半月も経つと真綿のような不信が少しづつ信吾を締め付け始め
どんなに電話をしても繋がらない先輩が
大学を辞めたらしいと聞いたのは金を渡してから3月あとのことだった。

木村先輩退学してたんだってな、お前知ってた?

ギター担当の友人からそのことを聞いたとき、
雨に打たれていく道端の雪のように
かすかに残っていた望がざっと奪いさられていくことを感じた。

****

矢谷教授に会い、木村先輩はゼミに1年近く出席していないことを聞き、
木村くんと最後に話したのは1年以上前だよ、なにかあったのか
という矢谷教授の言葉を聞いた後、
大学構内のベンチでタバコを呑みながら感じたのは、
木村先輩への怒りと、自分という人間が
随分「見込み」を事実であるかのように捉えて生きているのだな
ということであった。

矢谷教授は大学内で福祉教育の権威たし、
大学に行けばいつでも顔を合わせる先輩に金を渡した。
だから、真吾の中ではもう40万円は数ヶ月後には
自分の手の中に納まっているという腹で真吾は生活していたのである。

40万の貯金があるつもりで事実は1万3千円しかない自分と
あの頃の自分と、
デザイナーになれると思っていて実際はただの留年学生でしかない恵美は
どこか通じるものがある気がしていた。

それは、確実にやってくる秋を支えに残暑を乗り切ることとは大分具合が違う。

****

「兄貴は夢が持てないんだね」と言ったときの兄の顔を恵美は今でも覚えている。
顔をしかめ、なにか言おうと口を開きかけたまま、あきらめの表情を浮かべていた兄。
あの表情は、あたしに向けられたものか、それとも兄自身にだったのか。





結局なにも言わず出て行った兄の背中だけは昔と変わらず大きかった。




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