一色達夫の日記

2002年09月21日(土) 日本の古典文化は高校生に受け入れられるか

娘が通う高校の文化祭で、芸術鑑賞会として「狂言の世界」という催しがあるというので、家内と一緒に出かける。
狂言二題。出し物は「萩大名」と「棒縛り」。シンプルな分かりやすい内容の演目。上演時間は解説も入れて1時間10分。
高校の体育館を埋めた高校生に、はたして日本の伝統芸能は受け入れられただろうか。
舞台上の演技に注目しながらも、高校生の鑑賞の様子を見ていると、理解が十分じゃないように感じる。
これなんじゃろかという顔。居眠りしている顔。じっとしておれずに身体がゆらゆらと揺れている子。見てはいるが顔に表情が無い子。
日本の多くの家庭では、芸術鑑賞に子供を連れていく親は多くはないようだ。そのような環境で大きくなって来た子供達のために、幼稚園・保育園の段階から様々な芸術に触れる機会を持てるような努力はされてきた。
そのような経験によって、子供達の情緒が豊かになり、人間形成がより良い方向に行けば企画した者の努力は報われる。
しかし、なまじっかな与え方をすると、文化とは・・・ましてや狂言とは何だか退屈な訳の分からない代物だ。というな印象を持ってしまい、これからの長い人生の中でかえってマイナスとなってしまうこともある。

最近の傾向として、わりと手軽に鑑賞することが出来る狂言鑑賞会は多い。だが、私はそのような安直な公演形体は、日本の古典芸能発展のためかえってマイナスとなるように思う。
狂言という芸能が発展してきたのは、「能」という芸能の間で演じられるように作られているからだ。
「能」という見方によっては誠に退屈な演劇の間で、軽く20〜30分演じられるから面白いのであって、能の公演を離れたところでの狂言だけの鑑賞は、その魅力が半減してしまうように思う。
狂言の世界の方がテレビに顔を出す有名人が多いから、そのような人の狂言公演は会場がいっぱいとなる。だが、そんな鑑賞者が「能」公演を見に来てくれるかというとそうじゃあない。
西条市総合文化会館がオープンして今年で6年目となるが、「能」鑑賞会は一度も無い。
長く受け継がれてきた古典文化に触れる機会がこうも少なかったら、若者に理解される事を望むことは出来ないね。
久しぶりの、折角の狂言鑑賞だったけれど、観賞後の気分はさえないものとなった。


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