ヨーロッパにいていつも思うことだけど。
キリスト教の国の民族は、愛することも、愛されることも、ごく自然にできるんだなぁ……って。感謝することも、感謝されることも。
それは一番小さな共同体の「家族」で各々培われたものだと思う。 もちろん、キリストの教えに基づく親のしつけによるものだと思うけど。
愛情を受けて育った人は、その深い愛を今度はパートナーや家族達と分かち合うことができるものなのだ。
ヨーロッパ的な愛とか感謝とか慈悲深さ。 昭和生まれのニッポン人の両親に育てられた私には、真似できない。 ニッポン人が夫である私には真似できない。とてもじゃないけど。
だから、欧州にいると、いつも良心の呵責に苛まれるの。私って、もしかしたらものすごく冷たい人間なんじゃないだろうかって。って。
でも、それはただ、自分は文化風習・人種が違うニッポン人なのだ、ということだけなのかもしれないんだけど。 
ベルベデーレ宮殿上宮美術館で、クリムトの「接吻」を観てきた。
これは、なんてヨーロッパ人的な接吻なんだろう……と思いながら絵に見とれていた。
ニッポン人の妻達よ。 あなた方の夫は、このような接吻をしてくれるだろうか?
私は、腹の中で、瞬間的に思ったぞ。 日本人の我が夫とはこんな表情で「接吻」なんか絶対にできない……と。
シェーンブルン宮殿で、女帝マリアテレジアについて物思いにふけった。
女傑といわれたマリア・テレジアは、皇帝フランツ・シュテファンを深く愛していたようだ。当時の多産の政策もあったのだろうけど、皇后は皇帝の子を16人も産んだそうだ。誰もがみんな父親にそっくりな子供達である。
そこで私はハタと考えた。
私は夫の子供を16人も産む気になれるだろうか? ましてや、16回も妊娠なんかするだろうか? と。 こっぱずかしい表現をするなら、16の「愛の結晶」である。
最低限の16回の生殖行為で16人の子供が生まれるわけではない。 排卵日前後、いやそれ以外に日常的にそういうことにかかわっていないといけない。敬虔なカトリック教徒であれば、全てを自然に任せるものだ。
経済状態、母体の体力、母性本能、その他諸々。 夫との愛の結びつきが強くなければ乗り越えていけないことである。
仕事ばっかりしているサラリーマンの夫とは無理だな……と即断。 いや、具体的に自分の夫とは無理だと思ったのではない。 一般的に夫がニッポン人だったら嫌だなと思ったのである。 ジャパニーズビジネスマンは仕事優先で家庭はないがしろだしね。
少なくとも、こちらの人は個人主義だけれども、女性を尊重し、家族を大切にする。スキンシップも大切にする。 そう考えるとね、ヨーロッパ人男性の体躯がいいのは、相手を抱擁する愛情をたくさん持っているからかな……とも思えてくるの。
何だか今日の日記は、一人ぼっちでニッポン人コンプレックス。
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