昨夜遅く、息子の友達のお母さんが電話をかけてきた。 彼女はポーランド人で、ご主人が日本人。日本に何年も暮らしたことがあるので、日本語を話す。
電話口でかなり取り乱している。 嗚咽の合い間にききとったところによると、遠くで独り暮らしをしている彼女のお母さんとここ数日間、全然連絡がとれないとのこと。もしかしたら、自宅で老衰死したのかもしれないので、明日から飛行機で様子を見にいくと。 私はしばらく息子さんの面倒を見ることを申し出た。 私もその彼女のお母さんにあったことがある。歳を召されていたけどきれいな方だった。彼女は美人の家系なんだなぁと思ったものだ。多少なりとも面識のある人だけに、そういう知らせには、胸にずしりと重いものを感じる。
結局、悪天候で飛行機が欠航になり、自宅で待機している矢先に、どこかから連絡があったらしく、お母さんは病院で(無事?)入院しているということがわかった。
よかった、よかった。本当によかった。 さっき電話で話した彼女の声に張りがあったので、私もほっとした。 私って、慶事や嬉しいことに対しては、人のこともまるで自分のことのように心から嬉しくお祝いしたり喜んだりできる。 でも、弔事や不幸に対しては、本当に口下手でどう相手に接していいかわからない。下手な慰めや同情は相手の心で言葉が滑ってしまう。
まだ人生前半だし、若くて不幸のでくわした経験が少ないというか、挫折を知らないというか、海外駐在しているとそういう機会に出くわすことが少ないからか、私という人間は、自分なりに親身にはなっているんだけど、こういうときにうまく相手の心をフォローしてあげることができない。今回は特に強くそう感じた。渋々しく。
心のこもらない通り一遍の社交辞令よりも、喜怒哀楽を私も一緒に分かち合っている、ってことが、相手にちゃんと伝わってさえいればいいかな、今のところは。
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