2008年10月27日(月)  青森りんご「あおり21」の悲しいニュース

金曜日だったか土曜日だったか、新聞を見て、えっそんなことがと絶句した。青森県が年に一千万円の予算をかけ、24年の年月をかけて開発した新種りんご「あおり21」の品種登録が、期限内に農水省に6000円の登録手数料を払い忘れたせいで取り消されたという。手数料を払い忘れたのはミスだけど、そのミスの代償に失った何億や何十年の大きさに呆然となり、こういう結果になるしかなかったのだろうかとやりきれない気持ちになった。自分たちの県のお金と人材を投入して開発した新種を、青森県は独占管理する権利はなくなった。

このニュースが入ったのがぎりぎりで記事を差し替える時間がなかったのか、日曜版には、あおり21の開発裏話を紹介する記事があり、よけいに哀しい気持ちになった。品種登録取り消しなんて結末を、誰も予想していなかったのだろう。まさか、そんなことがと思っていたからこそ招いてしまたともいえる。

どうしてこのニュースにこんなに胸を締めつけられるのだろうと考えて、企画がなくなるときの喪失感を重ねているせいではないかと思い当たった。時間をかけ、労力をかけて練った企画は、なくなるときはいともあっさりで、不条理な理由で打ち切られることも多い。誰を責めていいのかわからず、運が悪かったと諦め、時が慰めてくれるのを待つしかないことも珍しくない。これが世に出たらすごいぞ、面白いぞという未来を励みに苦労を重ねてきたのに、その未来が奪い去られた瞬間、それまでに積み上げてきた過去も否定される。企画が成立し、作品が完成しても、出資者が離れてしまったり、助成金を取り損ねたりという悲劇はある。『風の絨毯』は文化庁の助成金の審査に通ったのに、期日までにフォルムがイランから届かず、数千万を逃すことになった。

それでも24年間、数億円かけた企画が消えたという話はなかなか聞かない。かけた年月から考えると、携わった人の数も相当なものだろう。その一人一人の無念を、自分が味わった無念の何倍かに膨らませて想像し、悶々としてしまうのだった。

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