2008年08月20日(水)  映画『歩いても 歩いても』

有楽町シネカノンで是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』を観る。「何も起こらない、だけど、ずっとドキドキする」という批評を見かけて、とても気になっていたのだけど、本当にそんな作品だった。大げさな事件も仕掛けもない。けれど、一瞬先がどうなるのか、目が離せない。家族といういちばん身近な存在の頭の中ほどわからないものはなくて、わかりあえるだろうという前提があるから余計にややこしい。家族だからわかってほしいこととか、家族だから言われたくないこととか、その食い違いに苛立ったり傷ついたりする。その瞬間は心がざわついても時間が経てば忘れてしまうような些細だけど芯のある実感を是枝監督の脚本は実にうまくすくいとっていて、台詞のひとつひとつに「あるある」とうなずいてしまった。

脚本も演技も嘘を上手につくには技術が必要だとよく言われる。作り物であることを忘れさせるほどの自然なたたずまいは、緻密な計算を重ねて実現したのだろう。帰省した息子夫婦と娘夫婦のために母親がこしらえる枝豆ごはんひとつ取っても、しゃもじでまぜる手つきから、映画の外の時間で何度も作ってきた歴史を想像させてしまう。使い込まれた家具同様、家族の会話の距離感からも、流れた時間を見て取れる。高等だなあとしみじみ感心した。

声高にメッセージを念押しして感情を押しつけるのでもなく、身につまされた観客に自分なりの何かを持ち帰らせる。映画らしい余韻が残る作品だった。

2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品

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