2007年05月18日(金)  数学の本 日本語の本

日記の更新が滞っているのを見て、楽しみに読んでくれている何人かの人たちから「大丈夫ですか」と連絡をいただいた。体でもこわしたのでは、と心配されたらしい。ピアノ演奏並みの激しさでパソコンのキーボードを打っているのだけれど、舞い込んだ仕事のプロットなどを打っては直す毎日で、つい日記が後回しになっている。

書く時間の工面はなかなか大変だけれど、読む時間はけっこう取れる。毎日のように打ち合わせに出かけるので、移動中を読書時間にあてている。いま読んでいる『数学的にありえない』はわたしの苦手な数学の確率論やら物理学の理論が次々と繰り出されるのだけど、それがブレーキではなくむしろアクセルになって、ぐいぐい引き込まれてしまうSFエンターテイメント。序文によると、「地球に巨大な隕石が衝突して、文明が消え去ってしまう確率」は「毎年ほぼ100万分の1」であり、「われわれの祖先である類人猿は、700万年前からこの地球を闊歩していた」から「現在までに地球が滅亡している確率は、ほぼ700パーセント」となり、人類はこれまでに7回死んでいることになる。しかし、事実は「人類は一度として絶滅していない」から、「なにがどうなるかなんて、わかりゃしない」。確率的にはありえないことが起こってしまう世の中で、絶体絶命の危機にさらされる登場人物たちが、わが身の幸運に賭けながら、人生というギャンブルを必死で生き抜いている。それぞれの運命が少しずつ絡み合い、話が思いがけない方向にどんどん転がって、まったく先が読めない。わたしにとって数式や専門用語や学者の名前といった理系ワードは外国語のようなもので、普段あまり縁がない分、かえって新鮮だったりする。

落語家の立川談四桜さんの軽妙な語り口が楽しい『日本語通り』は、「座右の銘」を聞かれて「左右の目」だと勘違いして「1.5」と答えたガッツ石松さんのエピソードなど、電車内で読むには危険な笑いの罠が全ページに仕掛けられた一冊。濁点ひとつで意味が大いに変わり、漢字と仮名の組み合わせは無限にあり、同音異義語が豊富な日本語は、聞き間違えや言い間違えや勘違いの宝庫。定期的に吹き出す怪しい乗客になりながら、日本語の面白さ、奥深さにあらためて気づかされた。「氷がとけるとになる」のを埋める小学校の理科の問題の正解は「水」らしいが、「春」と答えた子がいたとか。「食」を「弱肉強食」と埋めるところを「焼肉定食」という伝説的小話(わたしは小学生の頃に聞いた覚えがある)とともに紹介されていたけれど、こんな答えが飛び出すところが日本語の懐の広さ。予期せぬ珍答を面白がる懐の広さが採点の現場にもあっていいのではと思う。「出世魚のハマチは大きくなったら何になる?」「刺身」というテレビのご長寿クイズでの珍問答も紹介されていた。これも番組では不正解とされたらしいけれど、真実を言い当てている。

「師匠はなぜモチにカビが生えるかご存知なんですか」と弟子に聞かれて「早く食わないからだ」と答えた林家正蔵師匠(晩年は彦六という名で通した)のエピソードなど、落語に出てきそうな気のきいたやりとりも多数登場。わたしは仕事柄、電車内でもカフェの中でもまわりの会話にはアンテナを張っているけれど、談四桜さんの頭には相当性能のいいテープレコーダーが内蔵されている様子。

最近わたしが思わず頭のテープレコーダーに録音したのは、カフェの隣のテーブルで朝のコーヒータイムを楽しんでいた元気なおじいちゃまたち(推定年齢75才前後)のこんな会話。
「……と、昨日、うちのテレビが言ってました」
「ほほう、おたくのテレビもそう言ってましたか」
わたしの感覚だと
「……って、昨日、うちのテレビで見た」
「へーえ、あなたもそれ見た?」
となって、偶然同じ番組見たんだねってことになるのだけれど、おじいちゃまたちは、自分ではなくテレビが主体で、しかも、自分ちのテレビと友人のテレビが同じことをしゃべったということに素直に驚いている。テレビがはじめて家に来た日を事件として記憶している世代だからだろうか。それぞれのテレビが人格を持っているように聞こえて、微笑ましかった。

2003年05月18日(日)  風じゅーの風よ、吹け!
2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん
1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ

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