春の日記
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2003年07月12日(土) 「戦中用語集」三國一朗、岩波新書

「歳はとりたくないものだと、したり顔で言う人もいるが、私はそうは思わない。歳だけとって、忘れることもできないのでは、どんなに辛く、苦しいことかしれないのである。」とはまえがきの言葉。私が会ったことのある母の叔父にあたる人(フィリピンで戦死)の戦友の方は、いろいろな当時のお話を聞かせて下さった時に、頻りに「懐かしい」という感慨をもらしておられたけれど。「生きていたから、経験している。経験したから記憶している。そう考えるのは危険だということを、この仕事をしていてつくづく思い知った。」というのもまえがきの言葉。
どうやら昭和初期くらいから戦後までくらいの日本の歴史に関する興味は当分続きそう。この本の中の「聖戦」の項で出てる斎藤隆夫の「粛軍演説」の話はそういえばこの間「その時歴史は動いた」でやっていたのを一応チェックしていたんだった。この人に関する本も読みたい感じ。最近の世界の動き等を見つつ問題になった演説部分を抜書き。今こんな事言える政治家なんて居るだろうか。「舌禍」の質が違いすぎる。

 現在世界の歴史から戦争を取り除いたならば残る何物があるか。一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味ではない。(略)この現実を無視して、唯いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて、千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできないのであります。(以下略)