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まだ少し寒いけれど、今日は珍しく膝丈の服にしてみた。 やっぱりこれだけでもちょっと気分が違う。なんか活発的になれる感じ。
「弟ができた夢を見た。」「弟ならもうおるがね。」「いや、そうじゃなくて!21歳差の。」 「腹違いか?」「いや、あの人にそんな甲斐性?はないでしょ」 なんて母娘の会話が交わされていた朝(と言いつつ11時過ぎ)の食卓。 最近、遅くまで浅い眠りを貪ってる所為か夢をよく見ますね。 しかも私は夢の世界で夢を夢とは一切認識しないんで、話はどんなに支離滅裂でもリアルそのもの。 「いつの間に縒りを戻したんだ?(違」「ってか母さんはもう50代っしょ」 とか、一通りのことは夢の中でも疑問に感じてたけど。 どういうわけだか陣痛が始まって病院に運び込まれて、朝の5時に弟が! 名前はどうするんだろう……?とか考えてた。やはり父か祖父から一文字とるのか、とか。 でもって「分娩には付き添ったの?」と父に聞くと肯定の答えが。うわぁ。 現実には、私達姉弟妹の3人のうちの誰の時にも父は来なかったと聞いてる。 それでも、いつも見る夢の中では割合筋が通ってる夢……かなぁ? もしもう1人弟がいたなら女2人男2人でバランスはとれてたけど、でも私は、 姉か兄が欲しかった……ってどう頑張っても無理なおハナシ。 母曰くじゃないけど、腹違い……ありえんだろなうちに限って。 もしそんな人がいたらそれはそれで面白いかも、と思う。どうせうちは争う程の財産もないし、 っていうかそんなものは私は期待してない。自分で稼いで相応の生活ができればいいから。 ただ、未だに父とは和解してないから、このままだと4月の定期代と授業料引き落としが、 って問題はどうしたもんかな、と思う。自腹……切れるかな。 奨学金が5月に4月分と併せての振込みで、11・12・1・2・3月の5ヶ月分=15万。 26万ちょい必要だから、10万は入れないといけない……あーーー。 かといって和解……どこをどうやってもならない気もするしなぁ。
今日は事務局会議パート3。私はつどいの食事係になったらしい。 らしい、っていうかこの前頼まれたのだけど。で、他の企画の進行状況などなどを聞いた。 13時から16時過ぎまで図書館で話してたけど、ぶっ通しだったんでちょっと疲れた。 集中力が持たなかった……。昨日は文新歓会議だったけど、人数はほぼ同じでも随分違う。 ここだと私は基本的に発言するようなことがない、って感じ。組織が大きいし、 それぞれ役割が分担されてるから、っていうのはわかってるけど。 中心に食い込むつもりはないからそれでもいい……かなぁ。
全体での話が終わり、食事係として何かあるかなぁ、と思い、前任者に聞いてみたら、 まだ今日は準備ができてないということを聞き、今日はそれで終わり。
出ようとしたらロビーでスーツ姿の友人に会い、喉も渇いたんで自販機で買って隣に座った。 今日は学内でセミナーがあったらしい。へー。その手の情報を集めてないからなぁ。
その友人と別れた後に、再び国際開発へ。事務局会議の前に行こうかと思ってたけど、 13時ギリギリになる電車にしか乗れなくて、後回しにしてしまった。 遅くなると先生は来てても帰っちゃうんじゃあ……?と不安になったのも、 いまひとつ集中できなかった原因の1つではあったかもしれない。 どうだろう、と思いつつもドアをノックすると応えの声がした。 「失礼します」と入って行き、「ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、 火曜2限の初級ロシア語なんですが……」と切り出すと、「欠席だったでしょ?」 と向こうから言われて「私のこと覚えられてるのか?」と思ったけど違った。 どうも先生がミスをして、全員欠席扱いにしてしまったらしい。もう訂正の手続きはとったから、 と言われて、一応は「ありがとうございます」と言うと、「これで2人目」と言われた。 私の前にも質問に来た人はいたらしい。何はともあれあー良かった。
その後サブラボに寄った。遂にリクナビの特別DMが100到達。いらないのに。 3月は何か説明会はあるのあかなぁ。まだ残りの3社は何も案内が来ない。
今日も「僕と彼女と彼女の生きる道」は見た。それぞれの人にそれぞれの立場がある、 ってことを考えながら見てた。徹朗にも凛にも可奈子にも哲朗の父にもゆらにも。 印象に残った台詞は「娘は僕を無条件に愛してくれている」と、「私があなたを愛することはもうない」。 前者は徹朗のモノローグで後者は離婚した妻の台詞。無条件に愛する、って何だろう。 今は愛してるかもしれないけど、仕事人間だった頃の徹朗と凛の仲は温かいとは言えなかったし。 家族でさえ、「無条件に」なんてつけるのは確率的に難しいことじゃないかと思う。 それなりに素直に父に感謝できてたのは……いつのことだっただろうか。 元から自分の気に入らないことがあると、怒鳴るとかテレビを消すとかしか できなかった父は、家族を自分の支配下におけないと気が済まない人かもしれない、 と今日ふっと思った。一体そんな父は何のために今まで働いてきてるんだろうか。 横暴な父は腹に据えかねて、感謝の意を表さなくなって久しいけど、 でも少なくとも(全部ではないけれど)今まで私の養育費を出してくれたのは事実で。 自分の気に入らない(本当は自分が教えたいのに懐かない)、子供の塾費等は母が出してくれた。 だから全部ではないけれど、それでも給料のうち、多くを子供のために割かなければいけなかった。 それは評価すべきなのだろうけど、でも人柄が受け付けられなくてどうにもできない。 そして、元妻の「愛することはもうない」の台詞。残酷だなぁと思った。 全く同じではないけれど、似たような台詞は受動的にも能動的にも経験があって。 どっちの立場も身に覚えがあるおかげで複雑な思いだった。
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