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2004年03月02日(火) 春先に

まだ少し寒いけれど、今日は珍しく膝丈の服にしてみた。
やっぱりこれだけでもちょっと気分が違う。なんか活発的になれる感じ。

「弟ができた夢を見た。」「弟ならもうおるがね。」「いや、そうじゃなくて!21歳差の。」
「腹違いか?」「いや、あの人にそんな甲斐性?はないでしょ」
なんて母娘の会話が交わされていた朝(と言いつつ11時過ぎ)の食卓。
最近、遅くまで浅い眠りを貪ってる所為か夢をよく見ますね。
しかも私は夢の世界で夢を夢とは一切認識しないんで、話はどんなに支離滅裂でもリアルそのもの。
「いつの間に縒りを戻したんだ?(違」「ってか母さんはもう50代っしょ」
とか、一通りのことは夢の中でも疑問に感じてたけど。
どういうわけだか陣痛が始まって病院に運び込まれて、朝の5時に弟が!
名前はどうするんだろう……?とか考えてた。やはり父か祖父から一文字とるのか、とか。
でもって「分娩には付き添ったの?」と父に聞くと肯定の答えが。うわぁ。
現実には、私達姉弟妹の3人のうちの誰の時にも父は来なかったと聞いてる。
それでも、いつも見る夢の中では割合筋が通ってる夢……かなぁ?
もしもう1人弟がいたなら女2人男2人でバランスはとれてたけど、でも私は、
姉か兄が欲しかった……ってどう頑張っても無理なおハナシ。
母曰くじゃないけど、腹違い……ありえんだろなうちに限って。
もしそんな人がいたらそれはそれで面白いかも、と思う。どうせうちは争う程の財産もないし、
っていうかそんなものは私は期待してない。自分で稼いで相応の生活ができればいいから。
ただ、未だに父とは和解してないから、このままだと4月の定期代と授業料引き落としが、
って問題はどうしたもんかな、と思う。自腹……切れるかな。
奨学金が5月に4月分と併せての振込みで、11・12・1・2・3月の5ヶ月分=15万。
26万ちょい必要だから、10万は入れないといけない……あーーー。
かといって和解……どこをどうやってもならない気もするしなぁ。

今日は事務局会議パート3。私はつどいの食事係になったらしい。
らしい、っていうかこの前頼まれたのだけど。で、他の企画の進行状況などなどを聞いた。
13時から16時過ぎまで図書館で話してたけど、ぶっ通しだったんでちょっと疲れた。
集中力が持たなかった……。昨日は文新歓会議だったけど、人数はほぼ同じでも随分違う。
ここだと私は基本的に発言するようなことがない、って感じ。組織が大きいし、
それぞれ役割が分担されてるから、っていうのはわかってるけど。
中心に食い込むつもりはないからそれでもいい……かなぁ。

全体での話が終わり、食事係として何かあるかなぁ、と思い、前任者に聞いてみたら、
まだ今日は準備ができてないということを聞き、今日はそれで終わり。

出ようとしたらロビーでスーツ姿の友人に会い、喉も渇いたんで自販機で買って隣に座った。
今日は学内でセミナーがあったらしい。へー。その手の情報を集めてないからなぁ。

その友人と別れた後に、再び国際開発へ。事務局会議の前に行こうかと思ってたけど、
13時ギリギリになる電車にしか乗れなくて、後回しにしてしまった。
遅くなると先生は来てても帰っちゃうんじゃあ……?と不安になったのも、
いまひとつ集中できなかった原因の1つではあったかもしれない。
どうだろう、と思いつつもドアをノックすると応えの声がした。
「失礼します」と入って行き、「ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、
火曜2限の初級ロシア語なんですが……」と切り出すと、「欠席だったでしょ?」
と向こうから言われて「私のこと覚えられてるのか?」と思ったけど違った。
どうも先生がミスをして、全員欠席扱いにしてしまったらしい。もう訂正の手続きはとったから、
と言われて、一応は「ありがとうございます」と言うと、「これで2人目」と言われた。
私の前にも質問に来た人はいたらしい。何はともあれあー良かった。

その後サブラボに寄った。遂にリクナビの特別DMが100到達。いらないのに。
3月は何か説明会はあるのあかなぁ。まだ残りの3社は何も案内が来ない。

今日も「僕と彼女と彼女の生きる道」は見た。それぞれの人にそれぞれの立場がある、
ってことを考えながら見てた。徹朗にも凛にも可奈子にも哲朗の父にもゆらにも。
印象に残った台詞は「娘は僕を無条件に愛してくれている」と、「私があなたを愛することはもうない」。
前者は徹朗のモノローグで後者は離婚した妻の台詞。無条件に愛する、って何だろう。
今は愛してるかもしれないけど、仕事人間だった頃の徹朗と凛の仲は温かいとは言えなかったし。
家族でさえ、「無条件に」なんてつけるのは確率的に難しいことじゃないかと思う。
それなりに素直に父に感謝できてたのは……いつのことだっただろうか。
元から自分の気に入らないことがあると、怒鳴るとかテレビを消すとかしか
できなかった父は、家族を自分の支配下におけないと気が済まない人かもしれない、
と今日ふっと思った。一体そんな父は何のために今まで働いてきてるんだろうか。
横暴な父は腹に据えかねて、感謝の意を表さなくなって久しいけど、
でも少なくとも(全部ではないけれど)今まで私の養育費を出してくれたのは事実で。
自分の気に入らない(本当は自分が教えたいのに懐かない)、子供の塾費等は母が出してくれた。
だから全部ではないけれど、それでも給料のうち、多くを子供のために割かなければいけなかった。
それは評価すべきなのだろうけど、でも人柄が受け付けられなくてどうにもできない。
そして、元妻の「愛することはもうない」の台詞。残酷だなぁと思った。
全く同じではないけれど、似たような台詞は受動的にも能動的にも経験があって。
どっちの立場も身に覚えがあるおかげで複雑な思いだった。


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