un capodoglio d'avorio
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2003年11月18日(火) 大阪市環境事業局舞洲工場

と言う、すごいタイトルのレビューなのだけれど。
でも、実はこれが、ただのゴミ焼却場じゃあないんだなー。
なんとあの、フンデルトヴァッサーがデザインした、
世界で2つしかない焼却場なんだなー、すごいぞ大阪。

Nチャンと一緒に、大阪湾の埋め立て地・舞洲へと向かう。
このあたりでは例のUSJが有名だけれどそれは隣の埋め立て地、
2人はうら寂しい荒涼とした方の埋め立て地を目指すバスに乗る。
どかは大阪に生まれてから19年間住んでいたけれど、
港湾地域にはほとんど来たことが無いから、
けっこう、ドキドキ、見知らぬ土地の風景、見知らぬ風の匂い。
長い橋を渡りきったあたりから窓の向こうに見えてくる異形な建築が、2個。


  あれか・・・な?

  あ・・・、そうそう、あれ!

  なんか・・・、ラ○ホみたいじゃない?
  (とは失言だったらしく、叱られるどか・・・)



↑舞洲工場の向かいの<大阪市舞洲スラッジセンター(建築中)>
 同じくフンデルトヴァッサーのデザイン


最初に見たのは建築中のスラッジセンター。
まるでラ○ホみたい・・・と不謹慎な感想を持ったどかだったのだけれど、
でも近づいてみると、とてもそうは見えない。
だってまず、何よりも・・・デカい(こんな巨大なラ○ホは見たこと無い)!
もちろん、有機的に組み合わされたモザイク調な外壁を見れば見るほど、
派手だけど安逸なラ○ホの予定調和なデザインとは似ても似つかないのも、
やっぱり良く分かる。
燦々と降り注ぐ晩秋の陽光に照らされて、
金のオブジェはまぶしく輝き、反射ガラスには青を背景に流れる雲が映る。
その雲を見ていると、そこが透明に透けているように見えて、
重たいはずの巨大な建築の威圧感が薄れていくからふしぎ。

断絶や切断といった理論っぽい力ではないけれど、
別種の接続したり包含したりといった混沌とした力を感じる。
美しいのではなく、力強い、目の前に立っていると、胸が熱くなる。
そして、知る人ぞ知る舞洲工場へ、向かう。



↑これが、なんと、ゴミ焼却場<大阪市環境事業局舞洲工場>!
 右に見えるタワーは、実はエントツ


内部の見学は一週間前までに申請しなくちゃいけなかったらしく、断念。
でも、近くまで寄ってみると、敷地内に遊歩道。
ポチポチ歩いてると、階段を発見。
どうやらいきなり訪れた人でも屋上の庭園へは行けるらしい、やった!
庭園へと抜ける階段も通路も石畳で、
その石畳の両側が緩やかに高くなってる微妙なRのなんやかや全てが、
階段につけられた手すりの微妙なうねりの全てが、
全部、ちゃんと、フンデルトヴァッサーしてるから嬉しくなる。



↑静かな昼下がり、うねり萌え出でる曲線


近くで見れば見るほど、先日行ったある建築との差違に驚かされる。
安藤忠雄の兵庫県立美術館である。
安藤の直線・単一・コンクリートに対置される、
フンデルトヴァッサーの曲線・モザイク・植物という要素。
無機質の空間に有機的なものがスッと入る開放感を出す安藤の理性に対し、
無機的なものと有機的なものを最初から渾然とさせてしまう
フンデルトヴァッサーの力、楽しいな、うん興味深いよ。

事実、この建築には、いたるところに芝生があり、植樹されている。
時には、垂直の壁の窓から、木の幹がせり出してきていて。
Nチャンに聞いたら、フンデルトヴァッサーの理想とは、
建築で潰してしまったもともとの地面を、
そのまま屋上やテラスにまで持ち上げて再現し、
そこで植生を補完するということにあるという。
また、自然界に存在しない、直角や直線などはできるだけ排し、
ウネウネグルグルギゥー的(?)表象をその旨とするらしい。



↑印象深い壁(きっと、忘れない・・・)


財政難に苦しむ大阪市がなぜにここまで冒険ができたのだろう。
と、ちょっと謎に思っていたどかだったのだけれど、
帰ってきてパチパチネットをたたいてたら分かった。
大阪オリンピック招致の切り札的存在に、という思惑があったらしい。

ふーん。
なるほどねー。

でもその誕生の経緯はどうあれ、芸術が現実へと着陸する風景というのは、
つまり優れた建築物というのは、博物館の中で見る「おげいじゅつ」とは違う、
何かしら厳粛な趣があって、どかは好き。
だって、学部3年生のとき、本気で専攻を絵画史から建築史へと変えようか、
そう悩んだくらいだもの(アールヌーボー大好き♪)。
隣の埋め立て地にあるUSJなんかより、ずーっとこっちのが、ヨイ。
少なくとも子どもの感性を大切にしたいのであれば、
火薬や効果音、水流や電力などで押し流す轟音のカオスなUSJよりも、
フンデルトヴァッサーの庭園に来て、
有機物と無機物が静かに混ざり合う自然と想像力のカオスを体験させるべき。

この建築が末永く、ここにこのまま残ればいいなと、思う。
六本木ヒルズが廃れてゴーストタウンになったとしても、
舞洲はこのまま静かに佇んでいて欲しいと、切に祈る。


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