un capodoglio d'avorio
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2003年11月13日(木) OPAP + 青年団「もう風も吹かない」

おそらく学生が上演する舞台のクオリティとして、
これ以上のものは無いと断言する、日本一の学生芝居。
どかは、大学院進学を辞めて、もいちど、学部から入り直そかと、
真剣に考えてみた、桜美林に、もいちど入れば、
こんな舞台に立てる可能性が、あるかも、なのであれば・・・!

桜美林大学文学部総合文化学科演劇コースのプログラムである、
OPAP(桜美林パフォーミングアーツプログラム)と青年団のリンク公演
@桜美林PFCプルヌスホール ← 淵野辺、遠かった・・・。
平田オリザは桜美林の同コースの助教授でもあり、
初代卒業生の「卒業公演」としての意味合いもある、かも。
でもキャストは4年生に限らず、仁義なきオーディションの結果、
3年生や2年生もキャストに入ってるし、入れない4年生もいたみたい
(無用な情を外すあたりさすが、それでこそオリザさん・・・)。
学生以外にも、青年団から山内サン等が客演、フォローもぬかりない。

舞台は青年海外協力隊の国内訓練所、実際に存在する施設がモデル。
JICAが運営するこの施設には、赴任地へ出発する前の3ヶ月間、
20歳から39歳までの協力隊員が世間から隔離されて訓練を受ける。
平田はかつて青年海外協力隊の制度改革の諮問委員をしていたらしく、
そこで見聞きした体験が戯曲に色濃く反映されているらしい。
こう戯曲の背景を書くと、説教クサーい話なの?
と思ってしまうけれど、オリザ戯曲がもっとも優れている点は、
どこまで行っても決して押しつけがましい説教くささがないとこなのな。

けれども、舞台はもう少し、未来に向かって投げ出される。
その未来の日本国はすでに財政的に完全に破綻し、
アジア諸国のなかでもGDPは最低レベル。
そこで、ついに来年から協力隊派遣は中止されることが決定し、
「最後」の協力隊員が訓練を受けているところ、
というのがこの戯曲の「現在地」である。
小泉が首相を続ける限り、まったく当然なリアリティーを帯びつつある、
最近の平田の「滅び行く日本シリーズ」な戯曲の最新バージョン。
前作の「南島俘虜記」はどか的にはちょっと、失敗作だったけれど、
これは、文句なく、パフォーミングアートとして、成功。
ちょっと長いけど(2時間30分)、でも、成功だ。

理想が現実に淘汰されていくときに鳴る音とは、
確かにきっと、こういう響きをするのだろうと思わせる。
いつも通り、その絶望の風景を、淡々と、丁寧に、
デリケートな波動をひとつひとつすくい上げて布置されていく。
生身の人間とはそもそも現実なのであり、
ボランティアという理想とぶつかるのはメタレベルでは必然なのだけれど、
時間軸をグッと未来に押し出すことで平田はこの「響き」を、
最大限に引き出した、しかも。

しかも、これを演じるキャスト達は、
モラトリアムから旅立たなくちゃな学生。
テレビから流れる情報のなかには、
微塵も希望が感じられない現在にあって、
そんな無機質な砂漠のただ中へと出発しなくちゃな彼ら彼女らの姿と、
最後の協力隊員として虚無と自己とのせめぎ合いの中にある役が、重なる。
どかは、そもそもオリザ贔屓だから、評価が甘いのかも知れないけれど、
今回の舞台に関しては、キャストが職業役者ではなくて、
学生であることも含めて、全ての企てがことごとく最大限の効果を発揮して、
だから、この舞台は総体的に、
成功としか言いようがない凛としたものになっていると感じる。

ふー、どかはもともと、ヒトを助けたいとか、ボランティアとか、
そういうのダイッキライなヒトで、それは高校のころからそうなんだけど。
だから、岡崎京子の例のテーマ、
「ヒトを幸せにできると思っているヒトにはバチがあたる」というのは、
深く胸に突き刺さるわけで。
平田オリザがこの戯曲でJICAの欺瞞を白日の下にさらけ出していく手腕は、
だから、どかは、清々しく思ってしまう。
そんなこんなで、どかはそう言う意味で嘘が少ない「美術史」が好きだ。
仲の良い友達やよく知る先輩にJICAに縁のあるヒトや協力隊に行ったヒトが、
何人もいるどかだけれど、でも実は、どかはそう思っている。
その人達を否定するのではなく、その思想はいかがなものか。
どかはそう思っている。

脱線しちゃったけど。
でも、実はこの舞台、ホントに面白くて、
「海よりも長い夜」の美しい<絶望>と匹敵するくらいの、
切ない<茫然>がここにはあって。
そして、パンフに寄せられた平田の文章がまた、
すごい名文で、名文過ぎて、何も書けないのよね・・・

   
  個々人が自分の頭と心と身体で、
  何かを感じ取り、考え続けること。
  そして、そこから得た結果を自分の判断として、
  責任を持って他者に向かって表現していくこと。
  その表現の孤独に耐えること。
  

  (「もう風も吹かない」パンフ序文より・平田オリザ)


申し訳ないけれど、少しだけ抜粋させてもらって。
9年間いた東京を離れる前日に、
本当に良い時間を過ごせたなーって。

青年団と出会えて良かったなーって思いつつ。

ウソの希望よりもホントの絶望をかき抱く力を持ちたいなと思いつつ。


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