un capodoglio d'avorio
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2003年07月06日(日) CHARA @赤坂BLITZ(リーズ行きの列車にひとり)

CHARA TOUR2003 "BEAUTIFUL DAYS"。
ツアーファイナル、赤坂ブリッツ。
セットリストは以下の通り。

1.Beautiful Day
2.初恋
3.オーシャン
4.神秘の家
5.スウィーティー
6.ハートの火をつけて
7.みえるわ
8.心にこない
9.ハロー
10.Sunday Park
11.Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜
12.ミルク
13.やさしい気持ち
14.スカート
15.うつくしい街
16.Beautiful Scarlet
17.I wanna freely love you
(以下アンコール)
18.青(未発表新曲)
19.BREAK THESE CHAIN
20.Violet Blue

どかはチャラが出産する前、
「スワロウテイル」や「やさしい気持ち」でブレイクする前から、
ずーっと、好き、多分「シャーロットの贈り物」や、
「罪深く愛してよ」ぐらいから入った気がする。
この世界に。
どかの中でチャラナンバーのベスト5を挙げると以下になる。

「BREAK THESE CHAIN」
「あれはね」
「タイムマシーン」
「花の夢」
「スカート」

この中でも一等一番個人的にどかに「近いとこ」にあると感じるのは、
空前のヒットを記録した畢生の名盤 JUNIOR SWEETに収録されている
「花の夢」、どうしようもなくある種普遍の基底音として、
どかの呼吸を裏打ちされていると感じるくらい。

そのときどかはイングランド北部のヨークから、
同じく北イングランドのリーズに向かう単線の列車にひとり、乗っていた。
いわゆる幹線ではない、地方都市同志を結ぶイギリスの鉄道は、
一般的にかなり寂れててよく言えば良い味があるのだけれど、
自分が疲れてるときには、
なんだか周りの「錆」に自分が差し込まれる感じがしてしまう。
静かに発狂していく自分を冷静に把握しながら、
ため息をもらしつつ外を見た、曇り空から降りてくるエンジェルズラダー。
それに照らされる、小さな村の灰色の屋根。

神かけてそのとき、私は特定の思い出や、恋人を思っていたわけじゃない。
自分は基本的に後ろ向きな人間であることを自覚するけれど、
そのときは、ただ、ぼんやり、
内の「錆」と外の「光」を混ぜようとしてただけ。
なのに、いつの間にか、目から涙があふれているのはなぜでしょう?
それが止めようと思っても、なぜ泣いてるか分からないから止まらなくて。
MDウォークマンがそのとき流していた曲が、
実は「花の夢」だったことに気づいたのは、列車を降りて随分経って、
小雨煙るリーズの街でヘンリームーアの彫刻を観ていた時だった。

その後はずーっとこの曲だけをオートリピートにして、聴き続けた。
とにかく、救いのない、音も、詞も、救いのなさすぎる、暗い目立たない曲。
実際あの列車に乗るまでどかはこの曲を、
「ひとつの曲」として認識してなかったし。
でも、そのとき、どかはとにかくその暗い暗すぎる世界に染まりたかった。
告白すると、そのイギリス行きの前にどかはひどく落ち込んでいたのは確かで。
でも意識的に自分の小さな「青」に浸る前に、
もっと濃ゆい「青」ラピスラズリの雪崩に飲まれてしまったような。

どかにとって、CHARAとは、あのリーズ行きの陰鬱な電車、あの固い座席、
車内の据えたような匂い、窓から見えるイギリス特有の低い曇り空、
「錆」に差し込まれて、本人は気づいてないけど、でも実は、
意識の下では気づいている、致命的な自らの危機、割れそうな自意識の皿。
リュックを背負った、いまにもほどけそうな情けない、後ろ姿、その輪郭。
そんなイメージのネットワークを瞬時によみがえらせるドラッグである。
過去の空気を、一瞬で現在に呼び起こし、それを未来に投げる、
ハイロウズが空間を操るのだとすれば CHARAは時間を操作する、
そんな魔女的なイメージ、とても個人的なのだけれども。

それくらい、強い磁場を形成してトリップさせてしまう「力」とは、
全て、彼女の、あの特別な「声」に帰着する、あのSOMETHING SPECIALな「声」。
例えば UAとか MISIAとか 宇多田ヒカルとかの曲を聴くと、どかは、
その「歌唱力」を強く意識させられるけれど、CHARAは違う。
そう例えば、前にカマポンと一緒に聴きに行ったビョークの「声」みたいに近い。

CHARAの「声」はあるレンジで魔力を発動するのだけれど、
それが何と彼女は2つ、そのレンジを持っている。
こもっているんだけどスッと通る「あの」ウィスパーボイスと、
爆発しながら説得力をまき散らすシャウトである。
普通ボーカリストがせいぜい1つしか持てないでいるその魔力のレンジを、
2つも持ってしまっているのが、まず、ぜいたくと言うものである。

声自体がすでに、類い希なる「静」と「動」のイメージを布置するけれど、
さらに彼女のナイーブかつ抽象的なイメージの詞と、
良く整理されているから聞きやすいけどでも実は懲りまくっている曲が、
「静」のイメージをサポートし、
ライヴで彼女がこだわり続けているロック色の強い演奏、
ガンガン重たいリズムセクションや「もろ」グランジっつう感じのギターの
かなりキてるバンドサウンドが「動」のイメージをサポートする。
いきおい、ブリッツは彼女の精神世界に飲み込まれていく。
観客はその「静」と「動」の間で絶え間なくふわふわ揺れ続ける浮標である。
それは、例えばヘタなジャズのコンサートのようなイライラ感ではなく、
魔力の発動による「時間のトリップ」で、思わず茫っと意識が遠くなる。
そして・・・、気づくと、意識よりも先に、涙腺が壊れている。

(続く)


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