un capodoglio d'avorio
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2003年04月23日(水) ミレー3大名画展@Bunkamura

とにかく今週だけは、身体、動かさなくちゃと思って、
朝からコクーンの NODA MAPの「オイル」の当日券を狙って、
渋谷のBunkamuraで並んでた。
でも2時間以上も並び続けるわけで、ひまだなーって思って、
そんなに行きたかったわけじゃないけどちょうどいいやっ。
と思って、列の場所だけキープして、
一階下のザ・ミュージアムにミレーを見に行くことにする。


 その後に観た「オイル」はどかにとってかなり衝撃のステージで、
 とてもすぐにはレビューを書けそうにないので、
 時間稼ぎの意味合いもこめてこのレビューを先に書くことにする。



誓って言うけれど、どかはミレー、好きじゃない。
むしろ積極的に、「受けつけない」画家の一人。
ルーベンス、ルノアールとともに、苦手だったのさミレーは。
なのでこんなシチュエーションでもないと、見に行かなかっただろうな。
平日の午前中なのに、けっこうな人だかり。
さすが、日本人。
世界でダントツ最もミレーを愛好する国民だわ(はぁ・・・)。

確かに、ジャン=フランソワ・ミレーの代表作の三枚、
「落穂拾い」「晩鐘」「羊飼いの少女」は、
彼の他の作品と比べると、まとまったいい作品だと思う。
というか、他の作品は、どかはもう見れない、感傷的にすぎる。
センチメントは結果としてにじんでくるのであれば良い味になるが、
最初からそれのみを狙うとただの悪趣味でしかないと、どかは思う。
もちろん、この三枚もセンチメンタル爆発なんだけど、
優れた構図に、彼の精一杯がんばった筆致が、
かろうじてある種の泥沼からすくい上げているようにも見えなく無い。

ミレーは決してデッサンが優れているわけではない。
そして色彩感覚も、けっして優れているわけではない。
けれども、彼が発明した1つのスタンスは、限定的に、効果があった。
それは「逆光のなか、シルエットの影にディテールを沈める」描き方。
彼は晩年になるに従って、この発明に、固執する。
必然的に、どれも同じような代わり映えのしない絵になる。
しかし彼は優れた画家ではないが、ちゃんと自らを知っていたのだ。
つまり、この描き方ならば、自らの才能の乏しさをもっとも隠すことが出来る。

「晩鐘」などは、その最たるものだ。
シルエットにしてしまえば、微妙な色彩の階調もうっちゃってしまえるし、
デッサンの狂いもある程度までは隠してしまえる。
でも、それだけだとさすがにあざとさが目につくだろうから、
彼は1つの「調味料」に手を出すことにした。
つまり「乏しさの美しさ」である。
「貧しい農民や羊飼いをテーマにして描き出せば、
中流の市民に対して、絶大な効果を発揮するだろう」。

もちろんここには欺瞞がある。
つまりこれらの絵を眺めるのは、決して農民や羊飼いの少女ではなく、
彼ら彼女らよりはお金を持っている中流の市民であること。
さらに言えば、画家ジャン=フランソワ・ミレー自身は、
ついには農民や羊飼いではなかったことなどである。
しかし、この欺瞞は別に深い罪でもなんでもない。
問題は、この絵を賞賛の度を超えて信仰し崇め奉る現代の日本人だ。
フランスのオルセーで、ミレーの前には日本人が必ずいる。
けれどもフランス人やその他の旅行者がそこで足を止めることは、
あんましないことを、どかは知ってる。
何でもないように見える、この現象、
でもかつてのどかにとってはショックだった。

さーっと見終えて、また「オイル」の列に戻って座った後で、
少しだけ、考え直すことにした。
ミレーは「落穂拾い」「晩鐘」を描いても、なお、
サロンから認められなかったし収入も向上しなかった。
「羊飼いの少女」がサロンに出品された後に初めて彼は「一人の画家」として、
認められたのだった。
それまで彼はひたすら上記の「発明」と「調味料」を、
売れなくても淡々と固執しつづけたのは、なるほどなーと思う。
自らの才能の限界をよく見極め、この二つの要素にのみ発展の可能性を観て、
苦境に耐えて作品を描いているミレーの姿は想像するだに感じ入ってしまった。
どかにとって別に彼を嫌いになる必要は、どこにもないのかも知れない。
どかが嫌いなのは画家自身ではなく、彼の作品「晩鐘」を、
賞賛以上に信仰してしまう、多くの日本人の
「美術愛好家」たちだけなのかな。

もひとつだけ、笑い話。
この展覧会にはミレーだけではなくいろんな画家の作品があった。
そしてフランス・バルビゾン派のジョン=フランソワ・ミレーではなく、
イギリス・ラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイの作品が、
一点だけ展示されていた(「盲目の少女」)。
どかの後ろでミレイを観ていたおばちゃん三人組が、
「あー、やっぱりミレーはいいわねー、明るいのもいいじゃなーい」
と口うるさく褒めそやしていた。
ここで彼女たちが言うのは明らかにミレーであってミレイではなく、
ミレーの特徴は色彩の乏しいモノトーン調のブラウンであり、
色彩が鮮やかなのはラファエル前派のミレイである。
キャプションには、ちゃんと画家の本名が記されているし、
それに「大好きなミレー」の画風をきちんと知っていれば、
有り得ない画面であることは、明々白々、
ってか絵を観るときは、わいわいがやがや騒ぐなよ。

どかはミレイは大好きな画家の一人だし、
それに最近は、ちょっとどか、滅入ってて疲れ気味の寝不足だし、
こんなおばちゃんたちには、カチンとくるのだけれど、
列に戻ってきて、画家ミレーに少し謝ってから、少しだけ笑ったのは、
やっぱり自嘲だったんだろうな。

・・・そうして「オイル」の幕が、ついに上がる。


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