un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年03月28日(金) Syrup16g @ SHIBUYA-AX

昨年末、ハイロウズのライブで来て以来のアックス。ここでライブやるなんてすごいなー、もう、名実ともにメジャーじゃん。当たり前の話だけど、ハイロウズとは客層がかなり違う。20代半ばから30代前半、思ったよりも男が多くて、男女比ほぼ半々。ルックスは普通のおとなしめのヒトが多い、ある「雰囲気」を持ったヒト、ぽつぽついる。

さて、セットリスト(判明時点で随時、補足・訂正を入れます)

 1:イエロウ
 2:不眠症
 3:Hell-see
 4:末期症状
 5:ローラーメット
 6:I'm 劣勢
 7:(This is not just)Song for me
 8:月になって
 9:ex.人間
 10:正常
 11:もったいない
 12:Everseen
 13:シーツ
 14:吐く血
 15:パレード
 <以下アンコール・曲名曖昧>
 16:sonic disorder
 17:生活
 18:明日を落としても

どかとしては1st.のナンバーを中心に、2nd.からも織り交ぜてっていうセットリストを心待ちにしてたんだけど、なんと、1st.2nd.からは一曲も、やんないの。アンコールまでの15曲は全て、新譜の今月半ばに発売されたての3rd."HELL-SEE"で、しかもアルバムの曲順通りにやるんだもんなー。全く・・・。ライブに向けて二日間の日記を割いて、レビューやったのに、外れたよ。というわけで、また、3rd.のレビューは別途、アップします。にしても、新人離れした自信だよなあ。ロングセラーの1st.を全く無視して新譜のみで勝負するって・・・。ある意味、感動する。

どかは3rd.って前2作と比べると、やっぱ少し押し出しが弱いなーって評価、イマイチだったんだけど、ライブで少し見方が変わった。というか、どかの好きな曲やってくんなかったけど、そんなに落胆はなかった・・・どころか、もう、目が釘付けになって、耳がフリーズしてた。すごい!ライブのほうが、100倍、すごい!

まず、とにかく演奏が上手い。ベースのキタダサンは職人って感じで、淡々と完璧にこなしてく。でもその淡々さ具合が、ある種の寒気を感じさせて、カッコイイ。そしてドラムの中畑サン、ちょっと、有り得ないくらいすごい。ハイロウズのおーチャンとはまたちょっと違う、破壊力。もっとエモーショナルなドラムなんだけど、その音圧で、フロアをドミノみたいになぎ倒していくかのよう。そして、何よりもボーカル&ギターの五十嵐サン・・・。

これは、どう考えても褒めすぎなんだけど、どかは五十嵐サンの第一声を聞いて思い出したのは、一昨年の横浜アリーナで見たレディオヘッドのライブ、トム・ヨーク。あのトムの神懸かったボーカルに似てると思うんだよね、五十嵐サン。もう、鼓膜よりも、脳幹よりも、シナプスよりも先に直接、心を串刺しにしてくるような、すごい声量と声質。そう、声量がすごいのね実は。アルバム聞いてる限り、ボーカルの線は細いのかなって、最初レディオヘッド聞いた人が思うように、そう思うのが普通。でも違うんだな。で、だんだん、なるほど。って思った。この声の強さが無いと、このネガティブな地獄は支えきれないだろうって思った。必然なのだ、全ては。

で、時折、声がファルセットになったりすると、もう、例のどか的シロップ体験に入ってしまう(耳だけわしづかみにされて振り回される全身)。どかの前の女の子も、隣の女の子も、泣いていた。ここまで「次の位相」の力を行使してしまうと、もう現世の「この位相」には留まってられないんじゃないかと、ライブの後、不安になったくらい、明らかに、この3次元的世界を超越した、トム・ヨーク張りの力を行使していた、危ないって。

例えば。

例えばね。

夜明け前、部屋の空気から酸素だけがシューッと抜けていって、だんだん息苦しくなって、吐き気がとまらない。というか、吐く。吐いた分だけ息を吸いたいのだけれど、なぜだか、キリキリと引っかかって、肺にまで酸素が届かない。口の中を切ったわけでも無いのに、血の味がする。幻聴や幻視は、時計のカチコチという音よりもずっと優しくそこにいて。でもそんなのに優しいって感じてしまう自分がイヤでイヤで。で、何も考えないで、ひたすら呼吸をすることだけに意識を集中して、吸って、はいて、吸って、はいて。呼吸にのみ全神経を集中してとりかかる。だんだん、だんだん、血の味が引いてゆく・・・

自分の中の一部分を少しずつ殺していくという作業はだいたい、こんな風景と重なってくるものだ。どかはSyrup 16gというのはこんな風景に留まりつづけるバンドだと思っていた。でもこんな風景を、芸術表現として具現化するには、やっぱり尋常ならざる身体の強さ(精神ではなく身体)が必要なんだわ。この「悲惨」を「美」に転換する魔法のコードは、ただ、強靱な身体にのみ、宿るのだ。内的世界を外的世界に表出すると言うことは、ただならぬことなんだから。単にしみったれた人生訓に節を付けてる凡百のバンドとは、わけが違う。

けっして即時的に「悲惨」=「美」なのでは、ない。実際、「悲惨」なんて、そこらへんにくさるほど、うちすてられてる。どかだって普通にその辺に積み重なってくさってた。で、いちいち、そんなのこれが「美」だわなんて言ってたんじゃキリがない、うざい。「力」を信仰するどかは、そんなハンパな似非「美」はヤナの。かつて自分がそんな似非な存在だっただけに、もう、我慢できないくらい、身もだえするくらい、嫌悪するの。

でもね、シロップは違う。

五十嵐サンの喉、中畑サンやキタダさんのリズムセクションには、ハンパ無い強度を保っている。その強度とは実は、そんな「風景」からの脱出を臨む後ろ向きな<現実逃避的>加速度だとしても、そして、実際には足をからめとられ脱出は適わないのだとしても、あくまでその加速度を志向することから、一瞬の<美>は生まれる。距離的広がりも空間的広がりも時間的広がりもない、どこでもない、ある一室で、無限と永遠は生まれるのな。五十嵐サンたら、歌い始める前に、毎回毎回、ため息つくのね。で、それをマイクが拾うから、アックス中に彼のため息がエコーかかって充満。普通、そんなん聞いたら、どか、怒髪天で帰るところだけど、仕方ないなあって笑って見てられたな。「例外だけど、ゆるそう」って思った。「ヒロトがいたら、どやされっぞ、全く・・・」って。

全部の曲が、素晴らしく、美しい。甘いメロディ、艶っぽい声、クリアな開放弦。そしてそれに対応する、破滅的な歌詞、破壊的なドラム、繰り返しループされる少ないコード。全部の曲が、どれだけラウドにかき鳴らされようと、静的なイメージ。そのなかで7と8は、美しさを越えて、永遠だとか無限を信じてみたくなったくらいの「位相」だった。12も良かった。そこにはスピードがあったけど、それは一方向に加速していくベクトルではなく、小さい一人暮らしの部屋の中、グルグル回って加速してしまうすがすがしさのかけらもないスピード。そんな曲を美しく鳴らしてしまうことに、このバンドの才能がある気がした。



ニルヴァーナでもポリスでもないな、レディへに近いよ。少なくともライブバンドとしての資質は、かなり、近い。

・・・褒めすぎかな。

・・・だよね。

でも、もいちど、機会があったら、行きたいな、ライヴ。


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