あたろーの日記
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2005年11月27日(日) ごはん。

 旧暦10月26日。
 ちょっと哀しい思いをした。
 他人にどう言われようと、どう思われようと、私は第三者の悪口を言って楽しむことに、ついていけなくなった、ただそれだけのことである。
 人間っていうのは、なんて哀しい生き物なんだろう、と、思った。
 分からない人には永遠に分からない、分かり合えない相手とは永遠に分かり合えない、それは仕方のないことだ、と、思った。
 ただ、それでも、相手の存在は尊重している。ずっと。
 お互いに、同時代に、生きているのだから。

 そうそう、先週の木曜に届いた大地宅配の野菜の中に、大根が2本、しかも葉付きで、入っていたのだった。
 出勤前だし、寒い季節だし、ということで、届いた段ボール箱のまんま、とりあえず、玄関(といっても玄関と台所はほとんど一緒)に置いといて、週末調理しようと思っていた。今日になって、慌てて段ボールを開けて、小松菜とか春菊とかを急いで(だったらもっと早くやっておけば・・・汗)冷蔵庫に入れて、さて、大根、どうしようか、と悩んだ。
 毎週届けてもらうお任せの野菜セットに大根が1本、それから、珍しい在来種の野菜が時々届く「とくたろうさん」というのにも登録しており、今回、その「とくたろうさん」に、珍しい「大蔵大根」というのが入ってきたため、我が家に大根が一気に2本!となってしまったのです。我が家、といっても、胃の小さいおなご1人でんがな。さらに、春菊などの葉物野菜と大根などの他に、カブがこれまた葉付きで1把。
 大根の一部は、同じく大地で届いたがんもと一緒に煮ました。それから、拍子切りにして、塩揉みした後、ごま油+醤油+にんにくとしょうがおろし+七味+黒酢でもって、漬け物にしました。でもあと丸々1本+3分の1本残っちょる。ありがたい話です。大事に戴きます。
 葉っぱは、茹でて、これまたにんにくとしょうがのみじん切り+ごま油+醤油で和えました。かぶの葉っぱは、どうしようかな、茹でて、みじん切りにして、菜飯にしますか、もしくはきんぴら風にしますか。どうしませう。
 かぶ、大好きです。大地宅配のお任せ野菜セット(「ベジタ」というセット名です)を毎週見ていると、野菜の、ほんとの旬、っていうのを自然に覚える仕組みです。きゅうりとか茄子とかトマトとかが入ってこなくなったと思ったら、かぶの登場。冬だなーと思う。かぶの食べ方で一番好きなのは、なんと言っても、ぬか漬けです。冷蔵庫の中に入れておいたぬか床の容器を、ようやっと、最近は冷蔵庫の外に出した。夏場は、狭いアパートの台所は、冗談抜きでサウナ状態なので、みすみすぬか床を過発酵状態にはでけんのです。かぶが1把、5個位届くと、ほとんど全部、ぬか漬けになってしまう。1日1個ずつぬか漬けにして、気がつくと全部平らげてしまいます。冬のごはんは、米と、かぶのぬか漬けと、納豆と、味噌汁さえあれば、あとは何もいらんです!!
 ・・・と、書くと、私っていかにもしっかり自炊して、よい主婦になりそうなイメージが出来上がるじゃありませんか・・・しかし、実は、そうでもない。
 小さい冷蔵庫なのに、なんでこうもお宝が発掘されるかなあ、と時々びびる。誰が入れたんじゃーっと、心の中で叫ぶも、誰も答えてくれる人はなし、当たり前だ、自分が入れたんじゃろうが・・・という、時々とんでもない掘り出しものに、失神しそうになりながら、夏のあの日、巨大なゴキブリが鍋に入り込んだ、あの、台所に、時々深刻な顔して突っ立っています。
 あ、あの、大地宅配で届いたお豆腐、今夜の酒の肴に、と、葱を切って、それからお皿にお豆腐を切ってのせる・・・と、これはもしかして豆腐よう(漢字が出ない・・・)であったか!、豆腐もお任せセットを頼んでいるのですが、そうか、豆腐ようが入ってくるとはこれまた珍しい!と、一瞬感激するも、よくよく考えると、豆腐ようっていうのは赤いんだよね、沖縄料理の店で数えるほどしか食べたことないけど。今私が目の前に見ているのは、黄色っぽい豆腐ようなんである。
 そうじゃなくって。
 パッケージをよく見たら、賞味期限が2ヶ月前だった。
 久しぶりに冷蔵庫の中を整理したら、奥にやられてしまっていた賞味期限切れの豆腐が、分かりやすい場所に移動しただけの話でした。
 大地宅配はもちろん、賞味期限切れの食材は入ってこないです。念のために申し上げておきますと、豆腐と納豆はどれも絶品。
 だいたい、台所に立つときも、ボケーッと考え事しながら立っているので、味付けだって、醤油を差してから、「あ、味噌にしとけば良かった」と気がつくことも多い。それでも、考え事しながらひたすら包丁握って鍋揺すって、目の前の窓から入ってくる風に時々眼を細めたり青空見上げたりしながら、お総菜を作り続けていると、大袈裟かもしれないけど、「生きてる」っていう実感がふつふつと湧いてくる。自分の「くいもの」を作っているんだなーという実感が。人間、技術がどんなに進歩したって、生きていくためには食べていかなければならない。鍋の中には自分の命の源がぎゅっと詰め込まれている。これを作っているということは、私は食べるということで、それは、私がこの先も生きていく、ということなんだ、と。
 独りの食卓で、どんなにしんとしていたって、気がつけば、今日も、生きていくためのごはんを食べている。


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