あたろーの日記
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2005年11月11日(金) 祖父の命日。

 旧暦10月10日。
 引き続き腰痛に悩まされ、夜のジョギングはなし。少し残業しておとなしく帰ってくる。久しぶりに自宅近くの銭湯。露天風呂に入り、じゅうぶん身体を温める。
 腰痛は、走ったせいではないです。ホルモンバランスと冷えから来る定期的な腰痛。30代になると、女性はいろいろしんどいですよね。。。

 今日は母方の祖父の命日。私が小学生の時に亡くなった祖父の命日を、娘である母よりも孫の私のほうがしっかり記憶している。間違える筈もない、11月11日午後11時30分。11が3つも並んでいるんだもん。たまたま今夜実家に別件で電話して、母に祖父の命日だねと言ったら、「あ?そうだったっけ・・12日じゃあ・・・あ、ちがう、今日かあ」と。あのねえ。。。
 祖父の死についてはとてもよく覚えている。というのも、私が人の死というものを初めて身近に感じたのが、その、小学5年生の、11月11日だったから。
 夜、布団で眠っているところを父親に起こされて、すぐに出掛ける支度をするように言われ、何がなんだかわからないまま、兄弟3人車に乗せられ、運転席の父は黙々とスピードを上げて、助手席の母は黙ったまま(今思えばかなり気丈に振る舞っていた)。新潟県の、上越市から、新潟市の病院まで。私も、妹も弟も、なんとなく旅行気分なのだけど、両親の様子がそれどころではないので、はしゃぐ雰囲気ではないと察して、静かにしていた。というよりむしろ、眠くて仕方がなかった。病院に着いた時、祖父はもう息を引き取っていた。地下の冷たい霊安室に私たちは通されて、胸の上で腕を組んだ祖父と対面した。死んだ人を間近に見るのはそれが初めてだった。ただ眠っているだけのように見える祖父の両鼻に、脱脂綿が詰め込まれており、小学生の私は、それが祖父がもう絶対生き返らない証拠なんだと思った。
 祖父の死に付き添った人は誰もいなかったらしい。霊安室に到着したのも私たち一家が最初だった。というのも、私の両親とも、実家が佐渡にあり、祖父が危篤状態に陥ったとき、佐渡島から新潟港に向かうフェリーは当日の営業を終了していたために、他の親族が祖父の元へ駆けつける手段は断たれていたからだ。・・・おそらく、母が最も悔やんだのはその点だったと思う。祖父が、誰にも見守られることなく、冷たいコンクリートの壁に囲まれた病院の中で(実際そういうところだった)、孤独に死んでいったということ。「こんな冷たいところで独りで・・・」と何度も言いながら祖父の傍らで泣き続けていた母の姿を今でも覚えている。
 
 生前の祖父の記憶はほとんどない。毎年夏休みと冬休みに、佐渡島の両親の実家にそれぞれ何泊かずつ遊びに行ったのだけれど、母の実家は、従兄弟達に会えるのは楽しみだけど、祖父が割と怖かった。何を考えているのか、よく分からないなあというのが子供心にあった。いつも難しい顔をして本を読んでいるか、あれこれ趣味に没頭しているか、蘊蓄述べているか、法華宗のきらびやかな仏壇には自分で彫った仏像が並び、その前で木魚を叩きながら読経しているかで。でも、ごくたまにお茶目なところがあって、一番記憶に残っているのは、2階の窓から1階の屋根づたいに、大きないちじくの樹に成っている実を、私たち孫のために取ってくれようとしたのだけど、窓から屋根に下りたはいいけど、逆に部屋に戻ろうとして、足がとどかず、ステテコのまま大騒ぎしたことがあった。それからもうひとつ、私がまだ幼稚園児の時、祖父が1人で佐渡から新潟市の私の家に泊まりに来てくれて、私と妹は祖父とめずらしく買い物に出掛けて、猫のぬいぐるみを買ってもらった。ぬいぐるみはもうないけれど、胸の奥にずっと記憶として残っている。
 病院の霊安室で冷たくなった祖父を見て涙が出たのは、まだ人の死というものについてよく知らなかったけれど、もう、私たちのためにいちじく取ろうとして戻れなくなって娘達(母や叔母達)に叱られていたあの祖父も、猫のぬいぐるみを買ってくれたあの祖父も、もう戻っては来ないんだということを理解したからだった。

 不思議な話があって、これはもしかしたら過去に書いたことがあったかもしれないのだけど。。。
 私が東京の大学に進学するため、明日はいよいよ実家を離れる、という夜に、突然夢の中に祖父が現れた。新潟駅の新幹線のホームで、「しっかり勉強しろよ」と、どっさりと本を祖父から手渡される夢。翌朝両親にその夢の話をすると、2人とも笑いつつも感慨深げに、「じいちゃんがあんたにしっかり勉強しなさいってあの世から言ってるんだねえ」と答えた。その時は確かに気が引き締まったけれど、いざ上京してみたら、祖父の夢などすっかり忘れて、とにかく授業に交遊にバイトにと忙しい毎日。そんな時たまたま佐渡の実家に行った母が、祖父の若い頃の古いアルバムなどを叔父や叔母達と見ていて、そこで初めて、祖父が私が入学した大学の卒業生であったと知り、驚いて電話してきた。驚いて、というのは、たぶん、母にも私のみた夢について思うところがあったからかもしれない。
 その時から、亡くなった人が、あの世から私たちを見守っているということを、信じるようになった。

 今になって思うのは、母方の祖父と私の読書傾向がかなり似ていたのではないかということだ。私が高校生くらいの時、母の実家に行って、祖父の蔵書を眺めて、いつかここにある本を片っ端から読んでみたいなあと思った記憶がある。確か、法律書から哲学書、はたまた風水の本まであった。でも、祖父の蔵書に価値を見いださなかった他の親族がその後どうやら古書店に売ってしまったらしく、祖父の残した物は散在してしまった。それは仕方のないことで、遺された家や遺品を管理する親族の立場を考えれば文句を言えないことではあるけれど、私がもっと早く大人になっていれば或いは、と時々思う。祖父はどんな本を読んでいたんだろう。私が大人になっても存命であれば、どんな話を聞かせてくれただろう。

 祖父が死んでもう四半世紀近くになるけれど、祖父は冷たいコンクリートの壁に囲まれて独りで息を引き取ったけど、一緒に住んだことすらなかった孫の私の中で、次第に存在感が大きくなってくるのは、なんだか不思議だ。


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