あたろーの日記
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2004年11月19日(金) 『淳』と『「少年A」この子を生んで・・・』を読んで。

 旧暦10月8日。
 眼の調子がだいぶよくなってきました。視力は相変わらず弱ってますが、眼球周りの痛みとか、疲労感はだいぶ軽減されて、今日は気がついたら頭痛が消えていました。首や肩のコリは慢性だから仕方ないけど、それでも楽になったような気が。。
 今週コンビニで買って飲み始めたサプリが予想以上に効いているみたいです。何を飲んでるかといいますと。。
 セブンイレブンで買ったファンケルの「ブルーベリー」と「記憶サポート」(いちょう葉&DNA、キャバ、ホスファチジルセリン)というサプリメントです。あとは、この1〜2ヶ月ほど飲むのをサボっていたキヨーレオピン
 それと、時々カイロを瞼に当てて、眼の周りの血行をよくしたり。それから銭湯の熱い湯船に首までしっかり浸かって(ほんとは眼まで浸かりたいんだけど)。
 これだけなんですけど、とても体調がよくなりました!どうせコンビニサプリじゃ良くならないだろうから、漢方薬局でも行こうかなと思ってたんですが、当分これで行こう。

 夜通っている大学の授業で、先生が、1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」をテーマとして取り上げられたのを機に、『淳』(土師守著・新潮文庫)と『「少年A」この子を生んで・・・』(「少年A」の父母著・文春文庫)を読んだ。
 土師さんは被害者淳君の父親。かたや加害者「少年A」の」両親。それぞれの手記。あれだけ日本中を衝撃させた事件なのに、その後出されたこれらの本に目を通していなかったのは恥ずかしい気持ち。読むきっかけをくださった先生に感謝です。
 双方の手記、読み始めるとどちらも止まらず、一気に読み進んでしまいます。おそらく、被害者の親、加害者の親、その両方の心情に深い共感を覚えるからでは。どちらも読むのは辛い、特に、『淳』の中の、行方不明だった淳君が異常な状態で発見され、父親である守さんが警察官に導かれて確認に赴くところ。。その後淳君の死を受け入れることが出来ず、ふとした拍子に面影を追ってしまうところ。。そして、顔見知りの「少年A」が逮捕されたと知ったときの、「この国ではA少年が罪に応じた罰を受けることはない」というむなしい気持ち。さらに犯人逮捕後も、少年Aの両親からは謝罪の意思表示がなにもないことに不信感を募らせていく様子や少年法についての実体験を踏まえた訴えを、正直に、冷静に、けれども大切な淳君を失った辛さに突き動かされるように書き進めてあります。
 『淳』を読むと、少年Aの両親に対する怒りがわき起こってくる。何度もマスコミ報道で言われていたけれど、当時、確かに犯人の両親が謝罪しようと必死になった様子は伺えなかった。けれども、『「少年A」この子を生んで・・・』を読んでいくと、やはり、この両親にも共感してしまう。土師さん一家と同様、子供に愛情を注いで育ててきた少年Aの両親。よかれと思って行ってきたしつけ、子育ての一場面一場面が、その後、間違っていたんだろうか、と、思い起こされる時の愕然とした気持ち。自分たちの産んだ息子なのに、全く知らない部分手の届かない部分がある、けれどもはやり、彼を産んだのはまぎれもなく自分たちで、彼の親は自分たちしかいないのだ、彼とともに一生罪を背負っていかねばならない、という悲痛な決心。そこに行き着くまで、息子が突然逮捕され、奈落の底に落ちたような気持ちと、少年Aの二人の弟達を含め、一家を守っていかねばない必死な逃避生活。読んでいて、この両親の手記・・・、被害者への謝罪の思いよりも、まず、息子が何故あんな酷い事件を起こしたのか信じられない、という衝撃と、とにかく一家が世間から身を隠すことに必死で、被害者(亡くなった淳君や彩花ちゃん、また少年Aが起こした他の通り魔事件の被害者達)への謝罪は気がついたら後回しになってしまったんだな、そして、謝罪しなければと思った時には自分たちの弱さが出てしまい、被害者の家族へコンタクトを取ることにも臆病になってしまったのだと、読んでいて納得しました。
 少年法はその後改正されましたが。。そして、少年Aは、今春、関東医療少年院から仮退院。今はもう21歳の青年です。その際の両親の長い手記が掲載された新聞のコピーが、今日の授業で資料として配られました。春、それが掲載された当時も読んだのですが、その時と今では、私の感想は変わったか・・・少し変わったような気がしないでもないですが、やはり、被害者の側に立つと、むなしさのほうが強いです。加害者の両親の謝罪の気持ち、罪をこれから一生かけて、息子とともに償っていきたいという思いは、誠実な気持ちであると理解できます。それと、息子が立ち直っていくその様子を綴ってある、これからも成長していく息子を見守りたいということも綴ってある。けれども・・・加害者はこの先変化し、成長し、辛いことも苦しいことも沢山あるだろうけれど、時には笑ったり嬉しかったり、何かに感動したりする経験を得ることが出来る。両親もそれを共有する楽しみがある。少なくとも、息子のこれからを見ることができる。
 だけど、被害者の親には、その機会は永遠に閉ざされているんですよね。
 辛いこと苦しいこと、人生の苦悩含め、一方では楽しいこと嬉しいこと沢山あるだろうし、子供が1人の人間として様々なことを考え、行動し、生きていく、その、人として当たり前の人生が、もうどうあがいたって戻ってこない。殺された年齢のまま、ストップしてしまっている。。
 加害者の両親の手記を読み、罪を犯した息子のこれからを見守っていきたい、という意味の文が出てくるたびに、被害者はこの世にいないけれど、加害者は生きている、それぞれの親にとって、どんな子供であれ、生きていると生きていないとではどちらが幸不幸か。。。そんなことを考えてしまいます。。
 だからといって、少年であった加害者が死刑になればよかった、なんて思っているわけではありません。彼がこれから歩いていく先、どんな辛いことが待っているだろうか、自分の罪の深さが深いままに、ずっと背負っていかねばならない人生、どうか自分が奪った命の分まで、大切に、思慮深く生きて欲しいと思います。。。
 授業で先生もおっしゃってましたが、本当に答えの出ない、難しい問題だと思います。

 奈良で小学生の女の子が誘拐され殺害された事件。一刻も早く犯人が捕まることを願うばかりです。どうしてこんな卑劣なことができるのか。。
 けれど、犯人が逮捕されても、殺された女の子はもう戻ってこないんですよね。ご両親の喪失感はこの先ずっと続くのだと思うと、気の毒でなりません。今、被害者のご両親がどんな心境でいるか。。。どんなに心情を思いやっても、当事者にしか分からない深い苦しみ、悲しさ。
 『淳』にも、連日被害者家族を容赦ないマスコミ攻勢が囲み、淳君を失った辛さと、同時に被害者の心情を察しないマスコミ陣からの心的な被害の拡大が書かれていましたが、奈良の事件ではそのようなことがないようにして欲しいと思います。犯罪被害者家族への取材は、どこかが代表して行うにとどめるとか、出来る限り最低限に、プライバシーや環境を尊重して行って欲しいです。


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