あたろーの日記
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2004年10月12日(火) 自分で死んじゃいけないと思う。

 旧暦8月29日。
 ネットで仲間を募って集団自殺する事件が頻発してる。死にたいなら勝手に死ねば?という冷めた気持ちと、どうして人生を途中で投げ出してしまったのか、他に道はなかったのか?という気持ちの両方が、ニュースを見ている私の中にある。私も、自殺が、現実の環境と自分自身のすべてから逃げる最も安易な方法であって、それがいつの間にか誘惑となって自分の足に絡まりついて離れなくなる、視野がどんどん狭くなり、自分の取るべき道がもうそれしかないとでもいうような思いに取り憑かれてしまって、毎日生きていることが苦しくてしようがない、という状況に陥ったこともある。今でも定期的に通院している。ただ、あまり薬に頼らない方向に、先生と話し合いながら進んでいる。カウンセラーの方々ともかなり突っ込んだ話をして、それを自分自身を深く見つめ直す材料にもしている。まだまだ自分の内面について、専門家の元に通う必要はあると思うけれど、少なくとも、自分で命を断つことなど、勿体ないし恐ろしくてもうとても考えられない。まだまだ生きてやりたいことが沢山あるし、たとえやりたいことがないとしても、毎日ささやかな生活を、楽しんだり苦しんだりしながら続けていくことが、自分にとってどれほど貴重なことなのか、自分がこの世に生を与えられたのはただひたすら生きていくためなのであって、それ以上でもそれ以下でもない、ということを知ったからだ。周囲の人達の助けも得ながら、そういう思いに至ることが出来た自分と、死を選んでしまった人達、きっと一時は同じ位置で同じ方向を見て悩んでいたのかもしれないのに、どこでどうして結果が異なってしまったんだろう、と、ニュースを見ていると、やっぱり最後は悔やまれる。見ず知らずの人達だけど、救うことが出来たであろう命、失われたのは残念だと思う。もし、死にたいという人がいたならば、自殺したいと思う自分が今正常な判断をしていないのだということに早く気づいて欲しい、と思う。正常な判断が出来ないのに、間違った判断に基づいて行動して取り返しのつかないことになるようでは、後で悔やんでも悔やみきれないのだから。
 
 少し話がずれるけれど、実は子供の頃から、たまに、ほんとにたまに、ふっと、あまり関わりを持ちたくない人達とコミットしてしまうことがあります。死んだ人、それも、自殺とか不慮の事故で亡くなった人達。ずいぶん前にもこの日記にちょっとだけ書いたことがあるのですが、寝ているときにいつの間にか布団の周りに集まっていて、血まみれの男の人が顔を覗き込んでいたり、「一緒に行こう」と言いながら首を絞められたりしたことも。テレビで見るような霊能者とか、そんな凄い能力はぜんぜんなく、私も意識などしていないのですが、意識していないからこそなのか、突然怖い思いをすることがたまにあります。たぶん、たまたまボケッとしている時に引き寄せてしまうんだと思います。一時期、いわゆる幽霊というのは、生きている私たちになにか訴えようとしているのだから、怖いものではない、と思うようにしていたのですが、よくよく考えると、怖い、というか、遭遇するこちら側も苦しいです。何故なら、幸福な死に方、というか、人生をまっとうして自分の人生に満足して死んでいった人達や、死を避けることの出来ない自分の運命の時だと受け入れて死んでいくことの出来た人達は、死んだら浄土とか極楽とか天国とか(呼び方は宗教によっていろいろあると思うけど)に行き、逆に地上に残ってふらふらさまよっているのは、自分が死んだことを受け入れられない、或いはこの世に未練がある、それから自分の生を無惨な形で断ち切ってしまった、そういう人達ではないか、という気がするからです。あ、そういうのは常識なのかな。やっぱり、私もそう思うのです。
 この世に生きていることは、楽もあるけど苦もある。そこから逃げようと自ら命を断てば、じゃあ楽な世界に行けるのかと言えば、まったくその逆で、中途半端な存在のまま、永遠に地上をさまよい続けなければならない、と思います。それがどんなに苦痛かは、何かを訴えるような苦しい表情で現れたりするのを見れば分かるような気がします。
 ・・・なんだか心霊相談みたいになっちゃった。幽霊とか信じない人してみれば、アホなこと言ってるな、ってなるのかな。でも、信じる信じないの問題でもないような気もするし。


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