あたろーの日記
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| 2004年06月20日(日) |
デリケートなことではありますが。 |
旧暦5月3日。 あまりの暑さに、自分がまるで腐食し始めた脂肉にでもなったよう。 昼過ぎには限界が来て、読みかけの文庫本とお風呂セットリュックに入れて、銭湯へ。日曜の早い時間の銭湯はおばちゃんおばあちゃん達の社交場。 「暑いわね〜が今日の挨拶代わりだわ」 「30度超えてるわよねぇ」「超えてる超えてる絶対超えてるわよ」 「とうとう始まっちゃったわねえ選挙。終わるまで(街宣カーが)うるさいのよね」「だけど誰に投票したって変わらないじゃない。(公約)守らないんだもの誰も」 脱衣所で、隣で服を脱いでいたおばあちゃんが私の顔を見ながら気まずそうに、「汗でズロースがぴったりくっついちゃって脱げないの」と言う。そう言われても困ります。「は、ははははは・・・そうですよね、暑いですもんね今日は」としか答えようがない。
汗を流してさっぱりした後は、図書館へ。冷房が効いていてほっとする。小さな施設だけど、人がいっぱい。暑さに耐えられなくなったら図書館ですごす。勉強してて気が散ってしようがないときも、図書館かカフェに行く。
『創価学会』(島田裕巳著・新潮新書)を読んだ。 新書というコンパクトな体裁ながら、創価学会の本質について、とても分かりやすく手際よくまとめられていると思う。創価学会が何故ここまで会員数を増やして大きく成長したのか。それは、創価学会が現世利益を前面に打ち出していること、現代の日本ではすでに失われつつある「村」に匹敵するほどの機能を持つ、会員同士の相互扶助による組織、農村から都市に移り住み(家長でないため先祖代々の宗教にしがらみがない人達)、安定した生活が保障されているとは言い難い人達の受け皿となったこと、また会員達による熱心な(本書には「戦闘的な」という表現も使われている)布教活動(折伏)、などが理由としてあるようだ。特に、強固な相互扶助組織であればなおのこと、家族親族一同が学会員であれば、実際問題として脱会しにくいという事情(それまでの生活の保障を失うことになりかねない)もあるらしい。 本書の趣旨はあくまで中立的客観的な立場で創価学会を論じる、というものであり、学会擁護の書でもないし、学会批判を前面に打ち出している本でもない。今や国民の7人に1人と言われる会員数を有する創価学会が、何故、既存の宗教をはるかに超える規模となったのか。氏は、こう述べている。 「創価学会が実現しようとしたことは、ある意味で、日本の戦後社会が実現しようとしたことであった。敗戦によって打ちのめされた日本国民は、豊かな生活の実現を求めて企業や労働組合といった組織を作り上げ、組織に忠誠を尽くしながら勤勉に働き続けた。その姿は、創価学会の会員たちの姿と重なる。一般の国民は、創価学会の思想や組織のあり方には賛同できなくても、追求する価値については、創価学会と共通したものをもっているのである。・・・中略・・・創価学会という組織は、日本人の誰にとっても決して遠い組織ではない。むしろ、私たちの欲望を肥大化させたものが創価学会であるとも言えるのである。」(『創価学会』) 本書は中立を保ちながらも、創価学会という巨大宗教組織に孕む様々な問題の断片をいくつか提示してくれています。その上で、戦後の日本社会がある意味創価学会のような組織を必要とし、利用してきたのではないか、というようなことも述べています。私の知り合いにも、聞いたことはないけれどもしかしたら学会員の方がいるかもしれない。これを読んでくださっている方の中にもいるかもしれない。「創価学会」をネットで検索すると、学会員の人のHPが多いけれど、中には創価学会批判のHPもあります。他人の信じる宗教について述べるのは難しいですけど、今、日本社会で創価学会という組織がとても大きな影響力を持ち始めている、ということを考えると、非常にデリケートな問題ではあるけれど、日本における現象のひとつとして直視しいろいろ考えていくことは必要なのではないか、と思います。
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