あたろーの日記
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| 2004年06月05日(土) |
子供を取り巻く環境って。。 |
旧暦4月18日。 佐世保の女子児童殺害事件。 「またか」「ここまできてしまったのか」という驚愕。小学6年生が、明確な殺意を持って同級生を殺害するという凶行。小学校の教室が血の海になる、図工の道具として使うカッターナイフが凶器になる、同級生が血まみれで教室に戻ってくる・・・そんなことが実際に起きうるのか、と、自分の小学生時代の教室の様子を思い出しながら、佐世保の現場の惨状を頭の中で重ね合わせて、日本社会の抱える病巣のあまりの深さにただただ驚くしかない。 子供の頃、外で遊んでいて、知らないおじさんには気をつけていた。悪いことをするのは大人の男の人だと思っていたので。まさか、同じ子供が刃物を持って近づいてくるなんてことはないと安心しきっていたし、女の人も怖いことはしない、と思っていた。なので、公園や近所の野原で遊んでいても、見ず知らずの大人の男性がいない限り、そこは完全に安全で安心できる環境のはずだった。 でも、今の子供達の置かれた環境はまったく違うんだろうか。。。
加害者の女の子が5年生の時に作られた文集に、好きな本を「バトル・ロワイヤル」とあったそうだ。趣味にはパソコンとも。 別に文部科学省が薦めるような本だけを読むべきだ、とは思わないけれど、私が小学生の頃は、好きな本といえば真っ先に「赤毛のアン」や「シートン動物記」であったことを思うと、今の子供達の読書環境の変化にとまどいを覚える。書店の児童図書コーナーには、今もやっぱりモンゴメリやシートンが並んでいるから、読まれてはいるんだと思う。「ハリー・ポッター」だって大流行した。加害者の女の子も、「バトル・・」以外の本も読んでいたと信じたい。でも、「好きな本」と問われて「バトル・ロワイヤル」と書く、それだけ彼女の心にヒットしたのがその本だったのか、と思うと、理解しがたい。・・・理解しがたいというのは無責任な言い方かも。。それにしても、これだけの情報化社会になって、大人でさえ、膨大過多な情報の海の中で自分の足元がしっかり立っているのかすら分からない現代社会において、子供達はさらに、身の丈に余る情報量を浴びせられ、その柔らかい脳にどんな情報が優先的に入っていき、彼らを成長させているのか・・・テレビも、インターネットも、携帯電話も、映画も、本も・・・親たちが把握しきれない情報を、大人がまだ頭の柔らかく感受性の鋭い子供達にどんどん垂れ流しているその無責任な状態を、私たちはもっと反省し、深刻に考えないと、この先もこういう事件は起こってしまうのではと危惧します。 パソコンも・・・パソコンは、自分も仕事プライベート合わせて日に10時間使っていて、ネットの恩恵に十分与っている身だけれど、実際使っていて、パソコン使用のメリットとデメリット、半々だと思う。メリットの量と同じくらいの量のデメリットがある。それも、いろんな意味である程度自分の使用限度をわきまえたつもりの自分が使っていて、だから、夢中になりやすく限度をまだ知らない子供が使えば、デメリットのほうが確実に増えるのではないかと思います。 ネットの世界は広いようで狭いです。自分の中に舵取りをする場所を設けないと、ネットによって世界が広がるどころか、安易な手こぎボートでよどみの中に吸い込まれて安住してしまうような怖さがあると思います。大人でさえその舵取りの方法を知らないのに、簡単に子供にパソコンを与えてネットの世界に飛び込ませて勝手に泳がせてしまうのは、考えてみれば恐ろしいことではないかと・・・加害者の女の子や被害者の女の子の親だけを非難しているわけではなく、「小学生の息子や娘のほうがパソコン詳しくて」と笑う大人達(うちの家族も含めて)がもっと危機感を持たないといけないのでは、と思うわけです。
偉そうに書いてしまいましたけど、私が書いたことと同じように今の大人達も思っているんだよなぁ。みんな、そういうことは分かっているんだけど、でも、実際どうしていいか分からないのですよね。パソコン取り上げれば簡単に済むって問題でもないだろうし。「赤毛のアン」読ませればいいってわけでもないだろうし。ネットや「バトル・・」だけでなく、もっと他にも原因はあるのだろうし。。。加害者の女の子の家庭環境も報道されているけれど、彼女の家庭が決して特異な例ではないと、泣きながら鑑別所に入る両親の背中を見て多くの人が感じたのではないだろうか、と思います。。。
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