あたろーの日記
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| 2004年05月28日(金) |
戦場のジャーナリスト |
旧暦4月10日。 「イラクに行きたい。命は惜しいが、やらなければいけないことがある」 イラクで殺害されたと伝えられている小川功太郎さんの言葉だそうだ。叔父の橋田さんは、ファルージャでの銃撃戦に巻き込まれ片眼を怪我した少年に日本で治療を受けさせるために、奔走していたという。 命を失うかも知れないという覚悟があったという二人。危険を承知で戦場に行くジャーナリスト魂があるからこそ、戦争の現実が、戦場にいない人達にまで伝えられる。戦場にフリーのジャーナリスト達がいるからこそ、人類は「人間」であり続けることができるのだと、これは大げさではなく、本当にそう思っています。 権力を握り、戦争を始め、若者をそこに送り込む政治家がいて、戦場で人が人を殺すことに馴れてしまい感覚が麻痺してしまう兵士達がいて、戦渦の中で逃げまどい犠牲になる人達がいて、安全な場所で戦争を遠い世界のことだと無関心でいる人達がいて・・・人は争わなくても互いに生存し続けることができるだけの知恵も叡智も手に入れたのに、戦争というのはいとも簡単にそれを否定してしまう、けれどもその戦場で人間の眼と心を持った自由な立場のジャーナリストが、彼の視線と心と言葉で戦場で一体何が起こっているのかを語ってくれる、伝えてくれる、そうするのが自分の使命だという信念のもとに、人間が人間であるために戦争を否定するために行動してくれる、そういう人達がいるからこそ、人類はかろうじて「人間」でいることのできる権利を保っているのだと思います。 この前の日本人人質事件の際もそうだったけど、今回もまたすでに一部の政治家から「自己責任」発言が出ています。たぶんこれからその言葉を何度も耳にすることになるんだろうな。「自己責任」と相手を批判すること自体政治家の責任逃れだと思う。政治家以外でも、私たちがイラクで被害にあった邦人を「自己責任」と非難することも、私たちの責任逃れだと思う。戦争について真剣に考えることから逃げている、戦争を他人事と考えている、人の痛みを知ろうとしない、そういう無責任さから逃れることと一緒だと思う。
そもそも、危険を承知で戦地に行くジャーナリストやボランティアの人達に、「自己責任」という言葉を投げつけることが妥当かどうか。人類の眼や心や手や足の一部としてその行動力と勇気に感謝すべき人達に向かって「自己責任」と非難するのは、あまりにも考えが浅すぎると思う。
お二人の死を深く悼みます。
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