あたろーの日記
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旧暦2月29日。 今週の東京は気温が20度を超えたり桜が開花したと思ったらそれも束の間、暖房なしではいられない逆戻りの寒さ。
「週刊文春」の販売差し止め問題。「週刊文春」のサイトに「声明文」が掲載されていた。日本のマスコミには個人のプライバシーに対する良識がないんだろうか。自分たちの主張ばかりで、プライバシーを暴かれた私人に対するお詫びの気持ちはまったくないみたい。
以下、「声明文」の一部より。
とくに今回の仮処分決定は、「プライバシーの侵害」という言葉を、その具体的な内容の開示を封じることによって逆に肥大化、独り歩きさせ、もって雑誌ジャーナリズムヘの評価を不当におとしめるものであった。これは異常な事態である。
・・と続くわけですが。。 あの、「雑誌ジャーナリズムへの評価」をおとしめているのはマスコミ側ではないでしょうか。だいたい、言っちゃ悪いけど、レベルが低いですよ、やってることの。確かに今回の販売差し止めは、言論の自由という観点からだと警戒すべき事態かも知れないけれど、公にはなんの落ち度もない一市民を守るという観点からは、やむをえない措置ではなかったかと思います。 今、この国にある「言論の自由」「報道・出版の自由」は、何十年も前から多くの人達が時の権力と命がけで戦ってきた結果だけれど、一市民のプライベートを暴く記事を書けるようにするために、小林多喜二や三木清が命を落としたわけではない。「言論の自由」の重みや大切さを忘れているのは、当のマスコミではないかという気がします。 普通に生活していても、職場や家庭で相手に言っていいことと悪いことがあるのと同様、記事にして良いことと悪いことがあるのは当然だと思います。他人の噂話やあら探しが好きで、おまけに自己チェック機能が働かずに言いたいこと垂れ流し、それを指摘されると逆ギレする週刊誌を読むのはもうやめようと今日誓った私です。 自衛隊のイラクでの活動についての報道規制に対するよりも、真紀子さんの長女のプライベートに関する記事をめぐっての販売差し止めに対して躍起になって抗議しているマスコミって、そもそも「言論の自由」や「知る権利」についての問題意識の置き場所間違えてるんじゃないかって思います。
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