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2002年07月16日(火) 湖国の球児達に幸あれっ!!(前編)

(7月19日の雑記です)
昨夏、近江高校が「3本の矢」の投手リレーで見事に準優勝に輝き、ようやく近畿最弱の汚名をすすぎつつある滋賀の高校野球。なんせ一県一代表制度になる1978年までに夏の甲子園に出場したのはたったの8回(うち4回は記念大会で予選は滋賀だけ、ちなみにその間センバツへは14回出場)。ことごとく京滋・福滋大会で負け続け、甲子園での夏初白星はなんと1979年(全国最後)という不名誉な記録まで存在する。余談だが、私が高校3年生だった年の初夏、我が校の硬式野球部員が交流試合で比叡山高校に22点差で圧勝し、クラスメートの硬野部員からそれを聞いて、うわー凄いなー、あの叡高に圧勝したんやし、こりゃこの夏は絶対に甲子園に行けるぞ、と同級生らと大興奮していたのにその後母校は予選の準決勝で敗れ、件の比叡山は順当に滋賀大会を勝ち上がって甲子園出場を決めて物凄く恨めしかった、ってな想い出がある(きっと大敗後に彼等は死に物狂いで切磋琢磨して見事に甲子園切符を勝ち取ったんやろうなぁ)。そんな「弱小県の代名詞」とか「近畿のお荷物」等と揶揄される滋賀ではあるが、近年は秋の近畿大会で勝ち星を挙げてセンバツに出場したり、現ベイスターズの村西投手が悲運のエース(春夏とも優勝校相手に素晴らしい投手戦を演じたが、どちらも打線の援護なく力尽き完封負け)として甲子園を湧かせたり、前述の近江の活躍があったりと存在感を示しつつある。とはいえ、県の予選を勝ち上がって甲子園に出てくるのは一握りの学校。ここ15年でみてみると伊香・八幡商(以降4連覇)・近江・近江兄弟社・近江・比叡山・近江・比叡山・近江・比叡山・八幡商・近江、とほぼ3強状態にある。別に露骨な囲い込みの話も聞かないので、県内の有望選手がみんなこの辺の学校に集中しているとは限らないが、その他の学校の試合は実にほのぼのとしている。


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