日記ふう雑感 ひとりごと
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特に理由があったわけではないが、珍しく日本テレビの「24時間テレビ」を見た。癌で逝った9歳の男の子のドキュメント・ドラマを見て、娘が交通事故に遭った時のことを思い出した。そしてこんな事を考えた。
次女7歳の夏、横断歩道を渡っていて大学生の運転するバイクに轢き飛ばされた。何箇所か骨が折れ、運ばれた病院で即手術を受けた。脳内出血、内臓損傷も心配され、医者から「今日一晩がヤマだ」といわれた。娘は幸い全て良い方向で回復し、今に至っているが、ほんの少し、何かが違っていたらあの男の子と同じ運命を辿っていたろう。辛い手術やリハビリに耐える様子を見て病院の先生は「今までにない我慢強い子だ」と言ってくださった。テレビで紹介された男の子の頑張る姿が重なった。番組の中でも主治医が「奇跡に近いくらい強い子だ」と言っていた。子どもにはこういう力がある。
子どもにとっては生きていくことはただただ生きていくことなのだ。病気であろうが、大怪我をしていようが、彼らにとってあるのはただ生きていくことだけなのである。子どもは未熟であり、成長するものである、とは大人が作った文言だ。これを一番よく知っているのは子ども自身である。大人になると自分がそういうものであった“事”は思い出すが、どう足掻いてもこの生物本来の感覚を取り戻す事はできない。 だから文言にする。だから我々は子どもを慈しむのだろう。そういう中で子どもは只々生きて行くことができる。人は生物であること、社会的で在らざるを得ないことを思うと、子どもを大切にできない社会はその存在自体が自己矛盾である。
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