日記ふう雑感 ひとりごと
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| 2006年02月03日(金) |
W.ジェームス『心理学』最終章 |
以下、内容抜粋のみです。
我々が「自然科学としての心理学」を語る時、・・・堅固な地番の上に立つ学ではなくその反対であって、あらゆるところに形而上学的批判の水が浸入する隙間のある学、またその全ての根本的仮説やデータを幅広くあらゆる方面に関連付けて考え直し、他の言葉に翻訳しなければならない学を意味する。・・・これは自信のなさから出る言葉であって、傲慢から出る言葉ではない。・・・・人が得意顔に「新心理学」を語り、「心理学史」を書くのを聞くと実に不思議な思いがする。・・・・・生という事実や脳は心的状態の条件であると言う命題といえるものは一つもない。これは科学ではない。もしこれについて物理学におけるガリレオのような人が現われるとしたら(ジェームスによれば、この時期の心理学はガリレオ以前の物理学の状態である)、それは形而上学的になるだろう。
とまあ、哲学に関しては、 「一般も単一も知識の神秘そのものの大きさには変わらない。要するに伝統的な普遍崇拝は誤った感傷主義、哲学上の”洞窟の偶像”に過ぎない。」というような事を書いています。
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