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2006年01月22日(日) ヒアリングの試験

知り合いのインドの研究員の方はまだ幼い双子の兄弟の母親だが、
お子さんが病院にかかる時はドクターと筆談で話すのだという。
彼女の夫は日本が話せるが、彼女自身はまだしゃべれない。
最初の診察で、英語が通じないこと、
会話はできないが、筆談ならコミュニケーションが量れるということを発見した、という。
どうも日本人は男性にこのタイプが多いとも言っていた。

確かに、日本の英語教育を普通に身につければ、
文字で書かれた英文はある程度読み取れるようになる・・・はずだ。
が、早口に“How goes it?”と聞かれて、逆に何回も聞き返し、
やっと文章は聞き取れたものの、何て答えよいやらかわからなかった、
という話を聞いたことがある。

私も、ネイティブのアメリカ人に挨拶され、
何と言っているのかよくわからなかったので思わず頭を傾げた途端、
あきれた表情をされたという経験がある。
彼らにとって挨拶はスムーズにやり取りが行われなければ全く意味がないのだ。
(母国語としての)日本語での挨拶は条件反射のように身についているので、
内容をきっちり聞こうなどと身構えることはほとんどないが、
この経験以来、英語で挨拶をされそうになったら、何気ない表情をしつつも、
注意して聞き耳を立てるようにしている。
私の英語力もまだまだである。

先ほどの筆談に戻るが、病気の診断を英語の筆談で可能というのは、
さすがお医者さんという感じだ。
一般の我々なら聞かれたことはわかっても、病気について筆談で答える事はちょっと難しいだろう。

筆談であれ会話であれ、母国語以外で”適当に答える”というのも訓練が要るものだ。
 
今年からセンター試験に英語のヒアリングが加わったというが、よいことだ。
あとは受け答えだ。
話しかけられたらきちんと答える、こういう能力をセンター試験でどう見極めるのだろうか。
まさか、「聞きっぱなしでよし」ではあるまい、どこかの国会議員のように。


Hiroko |MAILHomePage