日記ふう雑感 ひとりごと
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昨日書いたソーシャルネットサイト(これを“M”としよう)では、 私はB.Russellのコミュニティに入らせていただいている。 Russellという哲学者は、愛すべき底なし沼のような人である。 私の能力の限界によってその沼は限りなく深い。
インターネット上に自分のサイトを作るのは、何らかの表現をしたいからで、 私の場合は不特定多数へというよりは、リアルな世界での知り合い達を意識している。 何らかの発言を一度に多くの人に発信することができるというのは、 開かれた場を積極的に見た捉え方だ。
それに対する感想なり意見なり、 書き手と読み手のやり取りがOpenなネット上(これを“O”としたい)では不特定多数に開放されている。 所謂掲示板であるが、ここでは、やり取りを見ている者の所在が不明である。 バランスのよい関係が成立していないという意味で、心地が悪い。 これは開かれた場としての(私なりの)消極的な捉え方だ。
考えてみるとサイト“M”での足跡が残るという違和感は このバランスの悪さを均すものなのかもしれない。 「見ている事を知らせる」というのは見ているものと見られているものとの関係のバランスの良さを作り出す。 これは閉鎖性の積極的捉え方に繋がる。
私自身が発する内容は”O”での方が圧倒的に多い。 私と他の人との公のやり取りは”M”でしか生じていない。 開放性と閉鎖性を積極的に捉えるとこういうことになる。
以上身勝手なノー天気オバサンの屁理屈でした・・・。
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