日記ふう雑感 ひとりごと
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今年も残り少なくなった。 なんだか忙しなく、ゆとりがない。
ゆとりがないと面白い文章が浮かんでこない。 話し言葉には多少のギャグは入っても、 ゆとりのない中でユーモアのある文章を文字で表そうとすると、 なかなか思うようにいかない。 文字が透き通って、書いた者の心持ちを透かし見せてしまうかのようだ。
ところでゆとりという言葉は好意的に使われる事が多い。 昨今問題になっている 「教育にゆとりを」とか 「ゆとりある生活空間の実現」だとか。
辞書でひくと 「窮屈でないこと」だそうだ。 ためしに”窮屈も”調べてみた。 まさか「ゆとりのないこと」などと載ってはいるまいな、などと思いながら。 「思うままにならないこと」「せま苦しいこと」「気詰まりなこと」 「不十分なこと」とあった。
ゆとりもありすぎると、締りがなくなったとか、生意気だとか、 学力が低下したなどと言われる。 (教育のゆとりに関しては、 ゆとりを求めているのは教育する方で、 それが実現した途端に、 低下したといわれる学力を背負わされる教育を受ける方にとっては、 何がゆとりなのかますますわからなくなる。 最近の私は自称”若者の味方”である。)
ゆとりと窮屈の間はむずかしい。 窮屈ながらゆとりを求めて生活している状態が一番いいのかも知れない。
ゆとりのない中、いや、ゆとりのある中と言ったほうがよいのか、 夜、本を読んでいてさすがに眠くなり、 自分でも朦朧とした目をしているなぁと思う事が最近よくある。
娘いわく、 「目玉の上から、重力に逆らわない状態でまぶたが覆いかぶさっている」 のだそうだ。 親の顔をこんな風に客観視して見ているのか。 なかなかゆとりのあるコメントである。
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