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→【 infor-mation 】
△once upon a time
2006年01月05日(木)
■■新しい年。
新しい年。



年末、足が向けられなかった実家に行った。
妹ちゃんはそこにいる。

去年は妹ちゃんのことを含めいろんなことがあった。
悲しいニュース、信じられない事件、そして考えられない事件の報道。
ネットでもいざこざが起きていた。

ワタシは少なくともその出来事で
勝手に傷ついたりした。


ある遺族のお母様がテレビの向こうで泣き崩れたとき、
これまで聞こえてきていた“彼女が死を以って生きる大切さを
教えてくれた”という声に
ふざけんな!とも想い勝手に怒ったりした。

ワタシ含めてだけど、人は誰かの死を感じなければ生きていることの
大切さがわからないのだろうか、と自己嫌悪もした。。

そして心のどこかで
ワタシは妹ちゃんにこんなこと教えてもらいたくなかった。
そんなこと教えてくれなくてもいいから今ここにいて欲しかった。
そんなことを想っていた。

コレは本音。きっとワタシの本音。

彼女が死を以って生きる大切さを教えてくれた。
それは本当なんだろう。悪気があって出た言葉ではないって
わかっているし奇麗事ではなくてそういうことなのかもしれない。
そしてそれはとても大切なことだとわかっている。

でも、どうしても受け入れないワタシのココロ。
彼女の分まで生きる・・という言葉、それは前向きな言葉。
でも彼女の人生は彼女のものであって、誰かがかわれる事ではない。
生きたかったのは本人だ。そんな風に想っていたワタシ。


言葉とは難しいと想う。
どんなにボキャブラリィーがあっても。
相手が今どんな気持ちでいるのかという心づかいがなければ
言葉は武器になる。


人は武器という代物を扱うとき、とてもその扱いに慎重になる。
しかし、言葉が武器になることを理解していない。
そのような意味のことを書いた詩人は誰だったか。







::::::



ワタシは今までここでプライヴェートのほんの一部だけしか公開していない。
それ以上公開する必要がないからだ。
けれどそのほんの一部がワタシにとってとても大切で大きな時間。


ワタシは妹ちゃんとわたし達がどう過ごしたのかを綴ったメモを
未だに開くことができません。
時にそれは真夜中の妹ちゃんの病室内で 微かな灯りを燈して書いたもの。
時にそれは妹ちゃんが寝静まったときに、外来ロビーのソファーに座り
泣きながら綴ったもの。

そこにはDrが言ったように、奇跡のような姿の妹ちゃんもいれば
余りに残酷な出来事も残されています。
それでもその全てが妹ちゃんが生きていたという証。





ワタシは始めに日記を綴るに当たり、
“人間の生命力を信じたい”と書きました。
きらきらひかる。という日本のどこかに住むどこにでもいそうな
ありふれたワタシ、そして
わたし達家族のことが綴られた日記を手にしたこの画面の向こうにいる方々。
ここまで見守ってくださって本当にありがとうございました。

最後に綴ることは、奇跡の一ヶ月。その一部分を残したいと想います。
そこには、悲しいけれどきらきらひかる何かがありました。



そしてワタシは今でも人間の生命力を信じています。



新年のご挨拶に代えて。2006.1 るきの





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