再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 自覚あるモノづくり。。

自覚あるモノづくり。
コロナになってからこっち、
さまざまな中止や、延期や縁切りなんかを体験しながら、
(去年の今頃は、コロナ罹患から復帰して、でもコロナはコロナは言われながら、稽古場の在り方を否定非難され、でも表向きは楽しいモノづくりをし、でもそこは確信が揺らぐこともなかったので、結果を伴ったことで完全なる勝利)
結局本当の意味で表現に関わる人たちが試されているのは、
どれだけ、表現に対して真摯で誠実で、そこにかける熱量が高いか、
ということだと思う。
表現はやっぱり、誰しもができる簡単なものではなく、それだけの覚悟と修練を積んだ選ばれた人たちだけが、表現することを許されるべき世界だと思う。
集団を作って、下に偉そに振る舞いたいだけ、
集団の維持だけが一義、
自己実現の為の場所、
か、
不労所得をiPadに替えて貰いたいのか、

でも、何でもいい。
本当に人の前に立って、その行動に対してちゃんと責任をとるつもりがあるかないか、
そのことが試されている。
養成所、学校、大学、稽古、
まさに目を回しながら回しながら、
不要不急というレッテルを貼られてしまった僕らが担うものを、どれだけ必要なもの、と変換することができるのか。
自己表現、どうでもいい。
自己満足、気持ち悪い。
いま、やる必要がない。
危険を冒してまで客席に足を運んでくれた人たちの数時間をもらって、豊かなものにしてお返しできるのか、ということである。

返事のないもの、
には費やした分だけ、
なにもなくなっていく。

格好悪くてもいい、ガムシャラになるしかないのだ。
そんな自分に向き合うしかないのだ。
日々、本を読み直して、現場で新しいものに出逢いながら、それを受け入れながら、自分を更新していくこと。



2021年11月20日(土)



 劇団東演「酒場」演出の戯言

演出の戯言「現在の物語」

それはコロナ禍だけれど、某新宿の「居酒屋」で、プロデューサーでもあるY氏に分厚い本を手渡されて言われた。「これ、僕の青春小説なんです。」…題名は「居酒屋」作・エミール・ゾラ、自然主義小説の先駆け、文学のテーマに初めて労働者や下層階級を扱い、出版当時、その生活をあまりに凄惨に描いているとして批判の的になった話題作。…一体、どんな青春だったのだろうか…
そしてエミール・ゾラの「居酒屋」を舞台化することになった。舞台では民藝さんが40年ほど前に奈良岡朋子さん=ジェルヴェーズで演られている。時代と社会環境と遺伝的宿命が入り乱れる第二帝政期フランス版女の一生「生きていかなければ!」である。19世紀後半の約20年を占めるその時代、資本主義経済が社会に浸透し、労働者の貧困が既に大きな問題となっていた。機械化によって手職は蔑ろにされ、女性労働者に至っては一人では生きていけない程の低賃金に甘んじ、男に頼るか身を売るかを迫られる……。かの有名な「レ・ミゼラブル」の七月革命〜六月暴動から20年余り…つまり「革命と弾圧と死」の後から立ち上がってくる「無名の人たち」の物語でもあるのだ。
 最下層の庶民たちが、資本主義によって欲望のるつぼとなった花の都パリでどんな風に生きていったのか、その一癖も二癖もある人物たちを舞台上に生きる存在として表す。初絡みの作品としてはなかなかのハードル、事前ワークショップを重ねながら物語、世界を立ち上げさせてもらった。普段とは違うアプローチに最初混乱したモノづくりは、能動的なクリエーション(面白がりながら苦労する)へと変貌を遂げ、みな魅力的、どこか他人事だった19世紀パリの物語はいつか、現在の僕たちの物語となって問いかけてくる。

色んなものが豊かになった世の中だけれど、本質は何も変わっていない。
世界はまたも同じことを繰り返している。
大国の事情に翻弄されるのはいつも庶民だ。
考えることを止めてはいけない。

藤井ごう

追記:Y氏と「居酒屋」で「居酒屋」の話をしていると、どうしても赤提灯が頭から離れず、これは思い切って「酒場」とさせてもらった。作中、差別表現が多く出てきますが、時代性・受け取る社会の成熟を信じて原作ママとしました。ご承知おきください。


今後の予定―
○2023年12月15日〜20日・28日 エーシーオー沖縄「亀岩奇談」(原作:又吉栄喜)演出@ひめゆりピースホール(那覇)


2021年11月15日(月)
初日 最新 目次 HOME