再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 中間発表「待つ」戯言。

演出の戯言


鈴江俊郎作「待つ」。
この台本が書かれたのは、22年前。
世間は色んなことにまだ大らかだったのかもしれない。(とはいえ、1995年は色んなことの起きる年ではあるのだけれど)現代的に言うと、大きく「問題ある」(笑―最初の稽古場の空気的にゆうと)人々の織りなす群像劇。

誰かと繋がっていたかったり、
誰かが解ってくれないと怒ったり、
誰かが連れ出してくれないか願ったり、
こんな筈ではなかったと悔やんだり、
些細な出来事を喜んだり、
現状を憂いたり、
他人を羨んだり、

きっとこの作品の登場人物たちは、世界を救うような英雄にはなれないし、
歴史の教科書や、新聞に載るような大それた事件や徳のある行為もできやしない。
でもそれでも、人生の意味なんて事にふと足を止めて、ジクジクと考えてしまうこともある。
どこか、誰かに、自分に似たような、どうにも仕様のない普通の人々。
自分を振り返ればわかる、人は一面だけでは判断できないのだ。
俳優は心の在り方の専門家でなければー

小さい世界から、大局を見つめたっていいのだ。(大きな世界は後期にね)
役を見つめ、自分を見つめる
彼らは何を「待つ」?

本日はお暑い中、ご来場ありがとうございます。
狭いところで恐縮ですが、最後までごゆくっくりご覧ください。


藤井ごう

2017年07月28日(金)



 7月も残すところ。

「アトリエ」本稽古始まる。って、本稽古じゃない稽古なんてないのだけれど。
改めて掘り下げていく楽しさと苦しさと、難しさ。
稽古場はそれで活性化する。
こちらの状況で連続といかないのは申し訳ないけれど、その稽古でない時間が豊になるといいな、と思う。
言葉の、セリフの成り立ちを改めて見つめていくこと。
これはすぐ本番の養成所風物詩も、プロの劇団も同じ。
色んな機会の中で、作家のくくりの中の企画にいることもある、でもそんな時、
その人なりのやり方で俳優を教える、や、戯曲の読解をとおして演技をおしえること
、とまあ、ここまではいい。
演出家がおしえることとの差別化、テキスト重視。
演出家としての私はどうしたら良いのかわからない…
ちゃんと読む人が少ないのも事実かもしれないけれど、テキストはそりゃ重視すべきモノだし、でもこれだと舞台づくりをどう思っているのか…となりゃしないのかなぁと、
演出家はカタを作っている訳ではないよねぇ…
ムズカシイ。
まぁ多忙すぎが原因でさっぱり参加できていないから、まぁ、いいのか。

スターダス・21養成所中間発表

『待つ』

作 鈴江 俊郎
演出 藤井 ごう

7月26日 (水)
15時〜A/19時〜B
7月27日 (木)
15時〜B/19時〜A

於・スターダス・21アトリエ

入場は無料です。

お時間あれば。


2017年07月24日(月)
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