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■ 今、改めて「新劇」を考える��
「大それたことに向き合う」 藤井ごう
『すべての歴史劇は悲劇である。自分自身がそのなかで生きている時間ではなく、すでに歴史から埋葬されている時間に立ち向かい、その時間の中から、たとえば〈革命〉を救抜してみようかなどという大それたことを企む』(宮本研)
今、改めて「新劇」を考える。 というテーマで、新劇団に属していない僕が寄稿しても良いものか?とも思いましたが、最近のホームグラウンドが青年劇場さんであること、僕の師は文学座の高瀬久男なのでその垣根自体をあまり感じたこともなかったこと、演劇鑑賞会にも坂手洋二作『普天間』堀田清美作『島』と回らせてもらっていることもあり、これも何かの縁とお引き受けしました。『島』や『郡上の立百姓』など新劇の過去の名作を演出するにあたってどう向き合ったのか、ということになるのだと思いますが、僕自身は自分の仕事を隙間産業と呼んでいて、仕事をいただいている中で新劇に行けば小劇場の人。小劇場に行けば新劇の人と、括りのないのが売り(先日大笹さんに「窓口広く」と評してもらい^_^ましたが)、演劇は出てくる表現に対する在り方が違うだけで根本は同じ、共通言語を探す大変さはあれど大きく違うことはないと思っています。 敢えて言えば『誰かに何かを考えさせる力、に対して自覚的なのが新劇』でしょうが、モノづくりにおいて新劇と他とを区別して創ることはありません。取り上げる作品自体が持っている質によって必然的に変わるものだと思います。確かに新劇の過去の名作はその力の漲り方、普遍性の持ち方が強い。宮本研さんのような大それた企みに、現代人の軟弱な精神と身体でどう対峙できるのか― (次に続きます)
2017年07月06日(木)
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