再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 渡仏3日目。

朝はホテルのロビーにあるエスプレッソマシンでコーヒー、冷房にやられて(移動疲れも大概にあるんだろが)体調不良も、こんな機会そうないからと、予定通りドラクロワのアトリエ、工事中のサン・ジェルマン寺院、
いつも通り10:30から今日もマレ地区(ユダヤ人街)に赴いて、ユダヤ芸術歴史博物館を午前中に観て常設の展示の最後はドレフュス事件のこと、昼はマルシェで初めて座って(笑)食べる。でも、レバノン料理だけど。
これまた外壁に囲まれたマレ地区のショア記念館、
ここまでのどこもそうだけれど、荷物チェック、身体チェックなどあって(ショア記念館はドランシーもここも、インターホンを押して鍵を開けてもらって空港ばりのチェックがある)、
ここには、平和の礎のような、多勢の犠牲者の名前の彫られた壁があったり、
ダビデの星を大きく慰霊と鎮魂のために置いていたり、人もドランシーに比べたら多い。
とても静か。
様々な資料から、模型から、映像から、体験者の話(字幕とかはない)中に、参考文献で当たったエレーヌ・ベールのコーナーも。
常設でない展示は、世界各国のマンガで描かれたショア、日本からは手塚治虫の『アドルフに告ぐ』。
その後、芝居中で使用するかもしれないイディッシュのタンゴのCDなどを探し、
17:00から『アトリエ』の作家グランベール氏のお宅にお邪魔する。ホンの中でどうしても聞きたい事が2つ。
お宅はなんだ、ホテルの目と鼻の先。
取材。
その前に、どうしてこの作品をやるのか、の逆質問。
作家氏は、御歳78才、穏やかで、熱く、でもせっかち。
とても好意的にお話をしてくれる。
氏は、作家であり、この作品では俳優さんでもある。(演出は別)母への思いから描かれているホンではあるが、父のモデルでもある役を演じていた。
グランベール『君は、俳優もやるのか?』
わたし『いえ、やりません、恥ずかしいから、』
グランベール『そうか、僕は恥ずかしくて、演出ができない』だそう(笑)
聞きたかったこともお聞きし(普段はあまりしないことだけど、文化が違うと理解のおっつかないところが多くなり)、
何でか旅の送りに血なく頼まれた要件も済まし、
作品外の話もしながら(ご本人は日本映画にとても精通し、すぐに黒澤明と溝口健二の話が出た。ヒロシマとナガサキについてのお話しも描いているらしい。)、別れ際、『あなたにぴったりの戯曲がある』と説明してくれて、父がモデルで云々と、
私としては何処かで聞いたような…
わたし『それは「あるハムレット役者の夢」って作品ですね? それをやった劇団で『アトリエ』をやるんですよ。』(苦笑)
グランベール『それは似ている作品だね、もしかしたら、私のホンなのかもしれないし、全く同じ発想で別の誰かが書いた作品なのかもしれないね』
と、その作品ではない戯曲をサインと共にいただいた(笑)
…ただではおきない。
やはり2時間を優に超える。成功を誓っての握手をして別れる。
大活躍してくれたF・Sさん、
脳みそフル回転の疲労で、甘いものを欲するも、有名店はもうクローズ。
こちらも脳みそが喜んで、熱いうちに本を読み直したくなったけど、外はまだ明るいし、
まだ入れていないルーヴル美術館に行く。
(この日は金曜日で21:30まで)2時間弱、追い出しかけられるまで粘る。もちろんそれでも観たいもの全てはモーラできる訳もなく。
今回のコーディネーターF・Sさんは今日で最後(週末は別のコンサートの通訳がある、明日のアテンドはD・Yさん)なので、ここに来て初めてのビストロ。もう日本ではすっかりご無沙汰の生肉なんか食べつ、ワイン。絶品すぎる…食べる、飲む。
F・Sさんともしっかり話して、とにかく今回は彼女の存在無しには、ここまでの三分の一もできていないだろうなと思う。感謝しかない。
この体調でしっかり遅くなって、深夜の、おそらく服飾アトリエが集まっていただろう区画(現在は働き手は中国人とか、が主で、オーナーはユダヤ人が多いらしい←つまりオーナーはそこにはいない)を歩いて見て、散会。
『大丈夫ですか?ここから1人で帰れます?』
『大丈夫だと思う。』
と、しっかり違う方向に歩いていて慌てる。。。

明日は冬の競輪場跡(ベル・ディヴ事件)へ。
何にも残っていないみたいだけど。
近くなので、エッフェル塔、凱旋門(ここは約30年前改修中で、見られず)も。観光みたい。




2017年06月16日(金)



 渡仏2日目。。

8:00出立で、結果ルーヴル界隈からバスティーユ広場まで、闊歩。セーヌ川沿いもタップリ。
10:30にコーディネーター件通訳でもあるF・Sさんとホテル出発、一気にドランシー(収容所跡)まで。地下鉄を乗り継いで、その後バスに揺られる。
流石にここまで来ると、街の匂いも全然違うし、第一、観光客は皆無。
バス停からの表示も特にあるわけでもなく、バスを待つマダムたちに聴く。
慰霊碑と、貨車が一両。国鉄が建造したみたい。
貨車が学校の授業の関係で開いていて、
ついでに僕らも中を見せてもらう。
暗い印象を払拭するためか、内部は黄色に塗られていて、壁には資料もあるが、
やはり、この狭さに詰め込まれていたと思うと息が詰まる。途中近所のおばあさまが来られて、その当時のことを話してくれる。(モチロンたまたま貨車が開いている時だったので、珍しく近づいたそう)
その後、すぐ側にある、全く表立った表示はないところにドランシーに特化したショア記念館(つまりホロコースト)、人も少ないので、ユックリと映像と資料と、向き合う時間、二階の窓から、貨車と慰霊碑も見える。←貨車は私らがおばあさまと話した後に、閉じられた。見られて良かった。
じっくり三時間余り、日本では手に入らないドランシー収容所の資料など購入し、ドランシーを後に。
途中途中でF・Sさんが、これ食べたことある?と聞いてくれるお菓子を清涼剤に(お菓子は素人です、はい。)、脳みそと、陽射しとにやられているので、これがまたいいのです。
15:00過ぎに今日お邪魔するお宅の側の公園で、焼きたてのパニーニ、と菓子パン、遅目の昼食。
絶品。良い所だったけど、手頃な手土産が見つからず。
16:00大戦後に革工房アトリエで働いていたマドレーヌさん。イヴァンさんより10才お若い、と面会。私からは特に喋ることがないから聞いて下さい、と仰っていましたが、喋り始めると戦争のこと、ユダヤのこと、止まらず。
思っていた職人さんと言うよりは、家族経営の会計を若くしてしていたそう。
戦争当時はまだ若く、覚えていないことが多いと仰っていましたが、ドランシーや、ベルディヴ事件をどう思ったかなど、印象深いお話を。
ご本人は、人が信心するのはいいけれど、宗教は嫌いだと仰っていたのが響く。またしても2時間以上になってしまってお疲れになったかな…
バス停まで送ってもらい、いつでも来て!の挨拶と共にお別れ、コメディフランセーズで、D・Yさんに引き継いでもらって、開演20:30までの間、オペラ座界隈を歩いて、劇場のパブで一杯やってから、観劇。
…これが、面白くなかった(笑)
こんな発想でどう?楽しいでしょ?
的な人を喰った演出に終始する。なのに、目新しくもなく、映像の時間が恐ろしく長い…
安い席を取って、ほぼ5階からの見下ろしであったことをさておいても、
まぁ、こんなこともあります。
太陽劇団、観たかったなぁ←満席で観られず←並べば可能性はあるけれど、今回は目的がちがうので…
夜のセーヌ川沿いもオツなもの、つまらなくて煮える思いも鎮めつつ、途中パニーニを買って。。。散会。
明日は、資料から派生して、今回一番メインであるユダヤ人街マレ地区にあるショア記念館、ユダヤ芸術歴史博物館 。そして直前までどうなるかわからなかった『アトリエ』の作者グランベール氏との面会取材。盛り沢山。いつも通り10:30に待ち合わせ。それまではサン・ジェルマン側にある、ドラクロアのアトリエを観るつもり。



2017年06月15日(木)
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