再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 続くのである…

帰京して、『島』稽古。
ほんとうにいい作品だなぁと思いつつ、
でも、まだまだその作品世界に飛び込めない、二の足を踏み続けるもったいなぁ人もいて、
この間の難しさを思ったり、
稽古は、指摘されないようにやる場、ではなく、
失敗をちゃんとできる場、であるはずなのだ。
発見していかねば、次がない。
萎縮してたり、心を閉じていたって本当は誰も手なんか差し伸べてはくれないのだ。
でも、期日も迫り、
一つのカタチは創らないといけない。
せめぎ合い。
でもって、やはりこの芝居は身体にくるのである。
(てかいい加減回転しすぎって話もあるけど)
しかし、ベテラン陣の奮闘がこのチームは凄い。
2年前より若い(笑)←もしかしたら初演より(驚)
何より、演じるを乗りこなすことを、『島』の中に生きられることを、
楽しんでいる!のですな。
そんな中の、またや!、な報告。いや、超えた報告?
パタパタと指示はしても、いやぁ、なんだかなぁ〜。。
兎に角傾向と対策、
場当りの確認などとりいそぎして。。。
あとは遠くから応援。。。。

一回一回、舞台がアナログで安全に当たり前に出来ていることの凄さをこんな時ばっかりは感じざるを得ないわけだが(調子が良い)、
何しろそうゆう、危機的状況に直面して、
チーム全体の息が合うのかと思いきや、
集中の仕方の違いが目立ったりして、
そうゆう時こそ、人の本質は現される訳で、
嗚呼、これも課された試練なのだね、と納得せざるを得ない。。。。


2016年11月07日(月)



 『島』の初演時(6年前)掲載文、比べると現在がよくわかる。。

「島」と「現在」   藤井ごう

 「わしらが白髪の爺さんになる頃には、この地球上も大分様子が変わっとるよの。それ迄一粒一粒、種を大事に蒔いて生きるんよの。―その時は、人類に貢献した言うんで」

 被爆者である学の劇中の台詞から約六十年、プラハでは核なき世界への「平和」メッセージが宣言され、兵器削減の条約が締結されつつある。だが一方「平和」を謳った戦争は、今もこの地球上で確実に行われている。―この矛盾。そしてその事に痛痒を感じなくなっている僕らは「想像力の欠如」が言われて久しい。戦争は特殊な出来事でも、過去のことでもない事を知りながら。―この違和感。

 僕らが学の言う「その頃」を生きる人間として、他人にしか残らない筈の「死」の記憶を前に茫然と立ち尽くすのか、何かを共有して普遍化するのか、どうするべきなのか、…きっと答えなんかない。

 ただ、この「島」に生きている人間たちの「現在(いま)」に何かヒントがあるように思われてならない。

あなた自身の為に 人間の未来の為に

という作者の願いと共に、「生」という事の意味を突きつけられている。

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2016年11月05日(土)
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