再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 『島』の初演時(6年前)掲載文、比べると現在がよくわかる。。

「島」と「現在」   藤井ごう

 「わしらが白髪の爺さんになる頃には、この地球上も大分様子が変わっとるよの。それ迄一粒一粒、種を大事に蒔いて生きるんよの。―その時は、人類に貢献した言うんで」

 被爆者である学の劇中の台詞から約六十年、プラハでは核なき世界への「平和」メッセージが宣言され、兵器削減の条約が締結されつつある。だが一方「平和」を謳った戦争は、今もこの地球上で確実に行われている。―この矛盾。そしてその事に痛痒を感じなくなっている僕らは「想像力の欠如」が言われて久しい。戦争は特殊な出来事でも、過去のことでもない事を知りながら。―この違和感。

 僕らが学の言う「その頃」を生きる人間として、他人にしか残らない筈の「死」の記憶を前に茫然と立ち尽くすのか、何かを共有して普遍化するのか、どうするべきなのか、…きっと答えなんかない。

 ただ、この「島」に生きている人間たちの「現在(いま)」に何かヒントがあるように思われてならない。

あなた自身の為に 人間の未来の為に

という作者の願いと共に、「生」という事の意味を突きつけられている。

iPhoneから送信

2016年11月05日(土)



 『島』初演から6年経っての再演。チラシ掲載文

『島と現在』から『現在の島』へ 藤井ごう

 「わしらが白髪の爺さんになる頃には、この地球上も大分様子が変わっとるよの。それ迄一粒一粒、種を大事に蒔いて生きるんよの。―その時は、人類に貢献した言うんで」

被爆者である栗原学の劇中の台詞ー
青年劇場での初演時、2010年。
あの時はまだ3.11も起こっておらず、
まだ一応神話は神話の体をギリギリ保っていて、世の風潮もここまでセンソウがカクジツに迫っている況ではなかった。
米大統領の歴史的訪問など記憶に新しい今、核なき世界への流れはどうだったか…

6年経って『島』が再演される。(『島』の舞台もあれから6年)
僕ら舞台の作り手は、非力であることを思い知らされる日常が続いている。
学、そして作者堀田氏の思いとも確実に異なる『現在(いま)』がある。
その事をどう考えようかー

2010年にこの作品が産声を上げた時とは違う意味合いが生まれ、受け取られ方も大きく変わった。それは喜ぶべきことなのか…。
だが訴えかけるものがあったとして、その真は変わらない。

だからこそ、わかりやすい言葉、わかりやすい敵、大きい声、外国ではこうである的な常識に囚われることなく、こうやって生きてきた人物たちの思いを苦しみを喜びを、現在の都合で 「なかったこと」になどしないように、
コトバに耳をすませ、ココロに寄り添う。

想像力が経験を栄養とするならば、
学らの経験と選択は、今正に必要とされる想像力の基礎となるはずである。

舞台上にいつも通り人物たちを現出させようー
人間の未来の為に あなた自身の為に

作者の願いと共に、『生』という事の意味が大きく僕らに迫っている


2016年11月04日(金)
初日 最新 目次 HOME