再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 『郡上の立百姓』取り組むにあたっての文

「人はどのように生き、死んでいくのか」
美濃の国郡上で領主の重税取り立てに反対し、組織的にたたかい、幕府を震撼させた農民一揆(宝暦騒動)を材にこばやしひろし氏と劇団はぐるまが創りあげた大作『郡上の立百姓』(1964)から現在を照射する。
総勢40人越えの登場人物たち、唄に踊り…また凄い作品がやってきた。
その幕切間近、中心人物の一人は言う。

定次郎「俺がお仕置きんなりゃ田畑一切はお取上げやぞ! 残るんはお母アと、かよと、きよだけなんや。何も残らん。何も残らんのや。(中略)俺は女房持ちや。子供もある。そんなかで命捨ててかかったから、みんな固まってくれたんやぞ。俺が独り者やってみよ、身軽やったら何でもやれる。そんでおしまいや。」

 幕府・諸藩と、百姓一揆の激しいせめぎ合いは、苛政に苦しむ村人たちの困難を背負い幕府や藩に訴えた定次郎のような「義民」を生み、彼らの多くは苛政を取り除くという目的は達したが、直訴の罪によって処刑された。
これを過去のある一地点の一時の出来事と見ることは容易い。だがしかし、今まさに立っている地点の現在の瞬間でないと誰が言えるだろう。
「義民」を礼賛したいのではない。そうならざるをえなかった、その過程と葛藤に焦点をあてること、そこに活路を見出したい。
彼らが本当に勝ちとったものとは果たして何だったのか―


 師(*)の最期の作品へのコトバ「人はどのように生き、死んでいくのか」
このコトバと向き合いながら、青年劇場の集団力と創造力をもってこの大作に挑もうと思う。

*高瀬久男氏(文学座)

藤井ごう

2016年09月29日(木)



 『郡上の立百姓』紀伊國屋千秋楽。

青年劇場『郡上の立百姓』
紀伊國屋ホールでの公演はお陰様で連日の満席、
有難いことです。
劇場ってやっぱりこうだよな〜と思う。
芝居の評判は総じていいのだけれど、
もっと先が見えそで掴みそこねたり、
必ずと言っていいほど静かな重要なシーンで鳴り響く携帯にやられてみたり、
乗りに乗って泣き芝居がいい芝居と誤解されかけたり、
イロイロしながら、
一人一人が
あーこれでいいんだ
感で芝居をしないこと、流さないこと。
言葉を役の説明の為に、使わないこと。
言葉を伝える根拠に誠実であること。
そしてやっぱり芝居は
リアクションが総てを支えていること。
本日はその確認を全体でしてから(客席で)、
紀伊國屋千秋楽へ。
客席も十分の1は埋まる人数…
いい顔になっていると思う。
あと3ステージ。
いつも通り、でも、もっといい世界を。
物語を紡ぐのだ。


しかし、私事だけれど、
本城憲さんと紀伊國屋、R-vive登頂(笑)
…感慨深し。

神奈川、府中はまだチケットあります。


2016年09月25日(日)
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