再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 新年度を迎えて2

意味のわからない絶叫とか、
思想などどんなことがあってもいいと思う。でも。

しゃべる前に決まっている感情とか、
妙に泣こうとして泣く演技とか、
誰かがしゃべっている間固まらされている周りとか、
ここを見なさい啓示的灯りとか、
何より登場人物たちが話を、次に起こることを知っていて逆算の見えすぎる立方とか、
情緒的と抒情の大きな勘違いとか、
神の手的なドラマを生むための、しかもそれが次の言いたいことを生むためだけの偶然の連続とか、
情に訴えかけるために仕掛けられる人を喰った仕掛けとか、
全てを支えるはずなのに浅薄な生活感とか、
確かに人は愚かだけど、はなから救いようもなく愚かしい存在のさせ方とか変化とか、
周りがいるのを鑑みない、極々プライベートなやりとりとか(つまり他人の事など一部の隙すらも考えてない勝手な人たち)、
立場において順番で発せられる演説的な思いの丈とか、


こうゆうものを全排除して
または、そうゆう時間を通過してモノは人前に晒されるはずで、
自己満足、スゴイ大事なことをしているアピール。
そんなものを師は壊し、創ろうとしたはずで、
そうでなければ、作為的な側面は極めて見せないように、人間の行為を、人の心の変化を、それこそ、選択する瞬間に真実を現そうとしてきたのではなかったか。
私も作品によって変化はすれど、基本の価値観はここにある。

もはやこれは演劇でもなし、
稽古場にて話す禁じ手ばかりが舞台上を支配する時、
でも結局のところ、それでもこの人たちはいいのだな。
と勝手に思えてきて、
呆然と、驚きと、怒りを覚える。。。
芝居をつくるってなんだろうなぁ。。。
難しい→難しくない→複雑→シンプル
ウロボロスの尻尾のよに巡る。



あ、今やってる芝居じゃないですよ。
こちらは千秋楽@座・高円寺14時からです。
我がふり、ちゃんとしないと。




2016年04月24日(日)



 新年度も始まって。

中日もあっという間に過ぎ、
照明、舞台、音楽とそれでもこだわりながらの日々は健全。
しかし、まぁ、ナマモノである舞台はホントに難しい、
だから楽しいわけだけれど。

本気になるを怖れるは自分と向き合わざるをえないから、とここに書いたのは2月の中旬。
自分を守るために重ねる言い訳ってスゴイなと思う。
結果何にもならない。
そんなことをする時間や暇があるなら、前進することに時間や暇を使うべきだ。
そしてもっともっと人の時間とお金をいただくことに、真摯であるべきだ。
だからこそ、舞台上でまるで遊ぶかのよに、ただ、いられるのか。
相手の話をちゃんと、目の前で聞くことができるか。
人から渡されているものに敏感であれるか。
人に渡すものに繊細であれるか。
でもって、そんなこと全て当たり前にやって、大胆に飛べるか。←ホントに飛ぶわけじゃないよ。
自分のテリトリーで自分のやり方で小手先でやっても何も変われやしないね。
新年度が始まったこの時期だから、余計に感じる今日この頃。

フリはやめよう、フリは。

でもって
Ring-Bong『名も知らぬ遠き島より』
土曜日日曜日の各一回公演を残すのみ。
両日とも14時@座・高円寺にて。
まだまだチケットあります。
ご来場ください。




2016年04月22日(金)
初日 最新 目次 HOME