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■ 新年度を迎えて2
意味のわからない絶叫とか、 思想などどんなことがあってもいいと思う。でも。
しゃべる前に決まっている感情とか、 妙に泣こうとして泣く演技とか、 誰かがしゃべっている間固まらされている周りとか、 ここを見なさい啓示的灯りとか、 何より登場人物たちが話を、次に起こることを知っていて逆算の見えすぎる立方とか、 情緒的と抒情の大きな勘違いとか、 神の手的なドラマを生むための、しかもそれが次の言いたいことを生むためだけの偶然の連続とか、 情に訴えかけるために仕掛けられる人を喰った仕掛けとか、 全てを支えるはずなのに浅薄な生活感とか、 確かに人は愚かだけど、はなから救いようもなく愚かしい存在のさせ方とか変化とか、 周りがいるのを鑑みない、極々プライベートなやりとりとか(つまり他人の事など一部の隙すらも考えてない勝手な人たち)、 立場において順番で発せられる演説的な思いの丈とか、
こうゆうものを全排除して または、そうゆう時間を通過してモノは人前に晒されるはずで、 自己満足、スゴイ大事なことをしているアピール。 そんなものを師は壊し、創ろうとしたはずで、 そうでなければ、作為的な側面は極めて見せないように、人間の行為を、人の心の変化を、それこそ、選択する瞬間に真実を現そうとしてきたのではなかったか。 私も作品によって変化はすれど、基本の価値観はここにある。
もはやこれは演劇でもなし、 稽古場にて話す禁じ手ばかりが舞台上を支配する時、 でも結局のところ、それでもこの人たちはいいのだな。 と勝手に思えてきて、 呆然と、驚きと、怒りを覚える。。。 芝居をつくるってなんだろうなぁ。。。 難しい→難しくない→複雑→シンプル ウロボロスの尻尾のよに巡る。
あ、今やってる芝居じゃないですよ。 こちらは千秋楽@座・高円寺14時からです。 我がふり、ちゃんとしないと。
2016年04月24日(日)
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