再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 始まる。

ともあれ、
1日仕込み、場当り、
んでもって、もうプレビュー、そして初日の日。
…まぁシステム的にも、
プレビューだろうが初日とゆう名前だろうが、お客さんが観るとゆうことではどちらも同じ、
イベント並スケジュール、かつ、人員は足りず。
そのハードル…
やれることを各人がいつもより多く手を出して、
向かう。まずは昼の公演が照準だけれども、午前の場当たりはやはり前以ての問題視の不足?にて、予定オーバー。←内容がね、時間はon time。
でも最終盤で密にフレキシブルになってきたチームはしっかりと。
と思うと、遅れていらっさる方々の客入れドタバタで…
うーん。
こうゆう時こそ、跨ったとしても各セクションの責任者は色んな場合を想定し、打合せしとくべきと。。。そうゆう姿も見られず、
結局夜はこちらで采配することにしたけれど、
私、いない日もあるのですがね…
昼は少し固く、
夜は客席との対話もありながら、各人がぶつかりながら育ち始めた。作品としてはもっとジャンプできると思いつつ。

足並みを進んでいる人と遅れている人の平均で合わせるのではなく、
スタートラインに立とう、ガムシャラに。


2015年10月02日(金)



 粛々と。

すさまじい現場である。
この二ヶ月ほど、色んなアプローチで積み上げてきた。
素晴らしい時もある、でも永続しない。
が、こちらは作品は立ち上げなければならぬ。
ナマの感覚を大切に。だからこその準備の大切さ。
しかし、役の肚について、研究する気も、
開花させる気もない人がいた場合、
作り手として一緒にするのはムリがある。
あり得る可能性についてこちらは先手は打ち続けるけれど、
やはり舞台は俳優のものであって、
演出家は魅せ方と、その作品についての責任を背負うしかないのだ。
グングン変わってきている全体の有り様を信じ、でもって、未だ変われていない人の可能性を消さない。それだけ。
投げることはいつでもできる。

まぁ、もう二度とはやらないけどね。

しかし、こうゆうシステムの中で、圧倒的に生き始める人の様を信じよう。
モノづくりについて考える日々、特にストレートプレイは入り口から出口に向かっての決め事を乗せるのではなく、
行動線をそれぞれ持った生きる者たちのぶつかり合いがそれを生んでいくものだ。
先に書いた松濤の時の挨拶文のままだと思いいたり、
これ、一応プロの現場な筈、と笑う。
さ、明日も粛々と面白いものを。

2015年09月29日(火)
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