再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 どうしても

演技の一歩目において、

感情で、感情的に喋ること

これを俳優の基礎と教える人の余りにも多くして、
モチロン、そのアプローチの意味もわかるし、俳優さんは、ある意味その、
感情とか、気分とか、そうゆう漠然としたものを掴む必要は絶対にあるとは思うのだけれど。
それが「正しい」
もしくは、
それが「最良」
みたいな教えを、訓辞と思ってしまっている間違った人たちのどれだけ多いことか…

演技は、セリフを言いおわって終わり、
では当たり前にないし、
セリフを話す前に、喋る感情が全て決まっている、
なんてことは、日常のどの場面を切り取ってもない、
のにである。
代わりに基本だ!
と言えることの少なさも手伝い、
また、最終的に戯曲を扱う事になると、
コトバの大事さもどうしたってあがってくる訳で、
コトバ、カンジヨウ、それが表現の根源みたいに言われる。

でも、コトバは別にしても、カンジヨウなり、空気はあくまでその現象を観て感じた客席の想像力を喚起させるものだと考えると変わってくる。

気持ちがいいだけでいいのか?
己の状態を客席に向かって表明しているだけではないか?

と。

それをまた別のコトバにすれば、何様気分で説明過剰=演技
となってしまっているのか…


結論とか、答えとか、
簡単にオトナが発するな。
答えも、結論も本当のとこ、知らんのだから

自分も戒めて臨まないと…


2015年04月15日(水)



 いい稽古場って。

着々、粛々(!)と「オールライト」の稽古が進む。
仮組も嬉しいほど早くしてくれて、贅沢な稽古場だ。(スタジオ公演より早い…)
このコトに慣れてはいけない。
その場をちゃんと効率よく利用しなくては。
生活感、と対峙している今、
触れるもの、目に見えるもの、全て材料にできなければね。
いつでも全力の仮説をぶつけ合って、
でもそれでゼロにならずに、本にまた戻ってを繰り返し、
人の奥行を見つけていきたい。
自分と役との距離を乗りこなす。
なんとなく決まりごとをやって、自らの心を動かさないで芝居なんてできやしない。
あーなったらこーなるからこーして〜
的な
相手からの違うオファー、突発出来事を見ないよにする
折り込み済みの動きが、しかも無意識に横行してきているから、それがコワイ。
予定調和を作り上げているんじゃない、
真実があぶり出される瞬間を積み上げているのだ。
いや、いい空気なんどけどね。


方や、高校生は、やや集まりの悪い中、私が行けたり行けなかったりする中、
演出チームの頑張り、眼をみはります。
早めに動いて、、、とはいかなかった様子ながら、数少ない稽古、どこまで。。。
こちらは日々ジャンプするよに伸びあがるメンツの底力をどこまで信じられるか。
そしてその為のタネをどこまでまけるか。オトナの胆力、大切。


先の話で右往左往、
ちょっとどうかと思う、人の扱い方や、
あまりにも引き受けた時点との話の違いが大きくなって、かつ日々変わる(先方の情況で)ハナシ、
とてもじゃないが、作品の責任をとるのは…
など思っていたりする。


養成所も始まりの儀式を終え、さぁ新年度!
余計なものはいらんな…




2015年04月12日(日)
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