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■ タワゴト。。。
上手いとか下手とか、 上手くやろうとか、 って何だろうと思う。
そりゃ、下手、より、上手、の方がいいような気はするし、下手くそ、より、上手、とゆう評価の方が良いのかもしれないし、心理としてわからんことはないのだが。ことは稽古であり、稽古場だ。 答えはそう単純なものでなく、 上手くやろう、上手に喋ろう、とゆう目的を誤った態度と、それを『人』の造作だと思って憚らない人間への興味のなさ、 確かにただ頭デッカチになって、如何にもこうにも動けない、では意味はない。でも、
すぐに答えを求め、 そうじゃないとわかると、すぐ、 わかんなくなっちゃいました。 って言えてしまう感覚と、
他人の芝居を見て、チェックを聞いて、 自分のことじゃない、とそもそも、その現場でどうゆうルールが敷かれているのか、魅せ方について何を追求されているのか、他の人の演技に興味を示さなかったり、
一ヶ所言われると、そこだけしか意識しない 想像、創造のなさとか、 文字を文字通りの意味の雰囲気だけで読んだり、
結果である状態を 内実わからない段階からつくろうつくろうとしたり、 具体的に、 と 漠然と、 ともに些細なことで、 どうでもよかろな感じでいれたり、
乱暴に言えば、正解なんてない世界。 生きている世界の常識みたいなものとの違いで全体の見え方なんか大いに変わるし、 人間の在り方だって変わる。 だから時代の違うモノをやるときは、 背景や、それこそその時の常識とゆう装置について調べたり、観たり、想像する。 それでもひとりの頭では足らない、 当事者にはそうなれない、 だからガムシャラに、今日は昨日まで構築してきたものが壊れ去るかもしれないような恐怖とたたかいつつ、 稽古でぶつけ合って、解体して、また積み上げる。 各々の仮説が化学反応して、 その場のホントになれる真説が垣間見れる。 一瞬の光みたいな瞬間だ、 それを見逃さない瞬発力も必要。 上手くやろうなんて思っている暇はない。 そうゆう事をやってみなければ。
まるでタイミングかのように、 学芸会を観る機会があったのだが(私はあの演技指導で演劇嫌いを発症した⇨なのにやってるって…) 上手く見えたい、 はつまりこのレベルのこと、 一生懸命だったね、 もつまりはこのレベルのこと、 少なくともプロならば、 両方とも『あたりまえ』で、 求める目的とするものではないな少なくとも(笑)
そもそもわかった気でいて 一番わからない存在が自分自身だとして、 他人を軽はずみに
わかる
なんてことがある訳がないではないか。
俳優もそう、 もちろん、こう書いている私もそうなければ そして、やっぱりホンも人間、なんだよね
2014年11月16日(日)
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