再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 イロイロ。

三日四日と、
初絡みの俳優学校のステージ部公演。
男だらけ(笑)
普天間とこっちを行ったり来たりしていた今週。
実質稽古回数が限られた中で、一月かけて、面子の顔が変わってきて、
男だらけ仲良くなって(卒業生、学年も違ってたけど)?
オモシロイモノを提供するのだ、とゆう思いは強くなり、
完全ダブルキャスト一回ずつの二回公演。
色も流れも違うけれど、其々の味があって良き公演になったかな…

昨日は本番終わりですチェック後『普天間』の作家氏と台本の最終確認を深夜まで。
進む方向が定まったので、あとは邁進あるのみ。
稽古場は咀嚼をしながら着々と奥行の見える物語、人物たちが立ち上がり始めている。
稽古場はあと一週間。
十五日、横田基地の横の福生市民会館で初日。
暫く旅出て、俳優座で東京再演、その後四国辺りを巡って、かの地沖縄まで。



2012年11月04日(日)



 イロイロ思う機会。。。

今月も駆け足で色んな公演を観ている。
どうもカチッとはまるものに出会わない。
上っ面だけなぞったものが多い…(これは選んでいる自分の責任であるかもしれない(汗))
たとえば人と繋がれない悲しみがあったとする。そしてそれを感じるのはあくまで客席側であるはずなのだが、もう、演者が「繋がれない自分」を理解し、悲しみ、情緒にはまりこみ、相手と交流しない。。。
交流しようと思うから、したいから、かみ合わないから、悲しさが観てる側にこぼれてくる。
そうならなければ、自分の生理だけの問題である。実は役とは関係ない生理の問題になる。

存在の説得力、場所の説得力、関係性、距離感の説得力。または、空間の飛ばし方。
なんかそうゆうものが蔑ろにされてることが多いなと感じることが如何に多いことか。
特にワンシチュエーションの中では必要不可欠だと思うのだ、静か、だろうが、ファルス、だろうが、そこに信が芯がなくては、深い感銘などどう得られようか。
まあ、今は現象に、それだけに笑われていることのいかに多いことか。
それは単純に俳優さんのせいではなくて、演出側の責任多いよね(ぜ〜んぶ自分に返ってくる)
どんだけ迎合させずに粘れるか

言葉の選ばれ方に興味を持とうよ、
なんて思いながら、、、
最近つとに『言葉』について思うのだ。
ただ明確でもダメ、
聞こえなくてもダメ、
勿論状況に則するのだけれど、
リアクションについて殊更に言っていると、アクションに傾く。そうゆうこと?

稽古とか、打ち合わせとか、レッスンとかしながら、
空き時間を芝居見たりして、
そしてこの時期は卒業公演の演目決めもあるので、色々思うのだ、特に。

『普天間』再演(とゆうかブラッシュアップ)
の稽古も着々と。今年の方が、去年の上演時よりもホンが強くなっている確信。
共にある難しさ。
乗り越えて。

ずっと応援してくれていた方々が亡くなっていく。
焦っちゃいかんが、はたして私はその期待なり援助なりに応えることができたのだろうか。
一つずつ牛のように亀のようにそんな歩みを悔やむ時もある。

まずは、3日4日本番の面子と『存在すること』に重きを置いて。


2012年10月20日(土)
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