再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 「S高原から」パンフ掲載文。

これは言うところの「わかりにくい」本、なのかもしれない。
「なんだかよくわからないけど死に近い病の療養施設である高原のサナトリウム」が舞台。そこでも「日常」的に人は思い、考え、交流し、生きてたり、死んだりする。俗に言う物語=「ドラマチック(と呼ばれるもの)」はないことになっている。ベースはあくまでも「日常」会話。
そんな空間を淡々と流れて行く時間、
だがしかし寄り添うようにそこにある「生と死」。。。

平面から(文面)から受ける印象と、それが実際に立つことで具現化される時、そこにどう俳優として『存在』できるか、ということにかかっている。
それは俗に言う『滑舌のよさ』だったり、『キレある肉体』だったりすることは!大前提!として、
それ以上に『柔らかい心と身体』の獲得(準備)が大切である。
本の世界の奥行、
その人物の奥行、

行間を読む、だけでなく、
その人物の『流れ』と『意志』を理解し、体現すること。
そして舞台上でぶつかり合い、『変化』していくこと。

役を自分に引き寄せたり、
自分から役に寄って行ったり紆余曲折しながら、、、

そして存在と、役割と目的の確信を稽古場で得て、
「静か」だが「新しい」出会いへと今日も向かう。

そもそも演じるってなんだろう、人間てなんだろう、
そんな問いかけを繰り返しながらここまできた。
これはある意味「わかりやすい」(と言って安心されているモノ)への挑戦だったりして(笑)

本日はご来場いただきありがとうございます、
暑く狭いところですがどうかご容赦ください。
このクラスならではの「S高原」お楽しみください。


藤井ごう

二伸:Kくんはパパだ、そして、ホントに眠る漢であった。

2012年08月01日(水)



 四回公演。

S高原から、
二日間、ダブルキャスト四回だけの(各二回)公演。
そうでなくても『やったるぜっ〜!』と息を合わせてせ〜の!でやるのとは正反対の作品。
しかも、客席四面囲いにつき、横にも背中にも逃げ場はなく、
逃げようと関係だけを頼りにしすぎると、内へ内へ(芝居的な意味でも、装置的意味でも)寄り、最後、四面囲いの中心でボショボショしがちになる。(なんて話はケーススタディーで話してはいるけれど、実際やるのとはねえ(笑))
力が入り過ぎの初回から段階を経ていい意味で力の抜けた、
で奥にある「不安」とか「希望」とかそうゆうものは大事に、
アクシデントもしっかり対応しようとする。(完全にできるわけじゃないけどさ)
見慣れてない客席の若干の?を引っ張りながら、最後の読後感(観劇後感)まで、
暑い中、しっかりやっていたと思う。
途中演者として気持ちがいいのと、役を生きる違いを突っ込んだりされながら…
観にくる先輩らの観劇後の反応が面白い。いつも同じ、ではないのである。稽古場のルールは同じだけどね。興味は広いに越したことはないのである。
さあ、後期はどうするかな〜

無理を承知で本日引越し完遂、
いろんな方の助けをいただきながら、段ボールに埋もれて眠るのもオツなものである(漠)

2012年07月31日(火)
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