再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 イロイロありすぎる一週間

笹塚スタジオで燐光群。
挑戦心、
そこへのエネルギーも思うけど、
結局、今だからの、なぜに今?は誰も解決していない?
入り口と出口が同じ芝居はやはり、ハードルが高い。
でも非常に興味深い公演なので、時間の許す方は笹塚へ。
力強い俳優さんは相変わらず。

ピーター・ブルック『魔笛』さいたまっへ。
要所は面白く、音楽も心地よく、しかし、日本向けの安い感じ(はけぎわ日本語使うとか)の多用、、、
だから気持ちよく寝てしまう。。。去年12人に出てた学生とばったりでそんは話しをしながら帰途。

23日はテクノの修了公演。
週にわずかな時間で一ヶ月、ようやくと言うか、はやっとでも言うか、
サンモールで。縁あって担当クラスの半分近くが三度目の付き合い。
そして、去年の修了公演は、震災で劇場ではできず(例の時刻は丁度去年の稽古中)、久しぶりのサンモールになる。
昼から当たりプラスゲネプロ。(何しろ、複数クラスがあるので時間との戦い)
18時過ぎから本番。
その間にチェックして最終確認して。

ゲネプロで出たミスのくだらない忘れ物部分は解消されて、よき作品なったと思う。

打ち上げまで参加。
夫々プロになったり、次のことを始めたり、
いろいろだけど、自分への宿題をなくさぬ人になって欲しい。

そのお陰で僕不在があったりするシェイクスピアは進んだり戻ったりしながら、時間的には、これからの週に出来がかかってくる。全体のコンセンサス作りは良き感じで進んでいる。

そんな合間をぬって、恵比寿で賞をとった戯曲の公演を観る。
賞をとったら、必ず上演する、が謳い文句らしい。
お知り合いがイロイロいるので、んーとも思うが、とにかく。
……ひどい!
それだけ。
懇意の俳優さんも出ていたが、若手(と呼ぶ)の可能性に満ちた本をよってたかってベテラン陣が面白がれず壊した、とゆう事実以外、何があるんだろう…
賞を与えたのなら、その筆致の甘さ(と見えるかもしれない部分を)までもきっちりやって、その上で意見を交わすべきではないのか。。。
もちろん、そうゆう不条理を通過する(乗り越える)ことで作家自身の可能性が広がることも否定はしないけれど、
どうも違うような気がして、最初の十分から終演を迎える百十分まで、怒り、しか覚えない。
エライ団体なので文句言っちゃいかんのだろうが、お金ちゃんと払ったのでね(笑)

皆、何となくおかしいことはわかりながら、その事を気づかない風に装う客出し。
気持ち悪い。


政治には結局のところ個人ではなかなか抗えない。来年の仕事がチラチラと決まり始めるも、そうゆう流れと力に翻弄されて、
可能性としてやるかもしれなかった作品ができないことがわかったり、イロイロである。
嬉しいんだかなんなんだか、、、
まだまだこうゆう季節は続くのだな。

明日からも頑張りましょー

2012年03月24日(土)



 すりかえる。。

『エンディングノート』を観る。

こちらもようやく。末期ガンを宣告され亡くなった漢の死への整理の話を家族が撮っている映画。去年話題になったやつです。
もうこれはフィクションとは言えないし、ドキュメンタリーなわけだけど最終的に監督がいれる手はずがずるいよなあ、、と思う。そんでもってノンフィクションとしてはキレイすぎるよねぇ。
家族が撮ったからこそ、の、映像、映画。そうゆう意味では新しい(?)
ここからはカメラ止めて、のあともしゃあしゃあと撮ってあるし、⬅でもそうゆう件があるということは、もっと本当の意味で辛いとこなんかは撮ってさえないかも。。。
これはもう、家族だから訴えられない映像の使い方だと思う。そうゆう意味では作品と言っていいのかどうか。。。
しかし、もう事実なわけであるしいくら視点を変えたとこで「もう死んでいる」ことがわかっている時点で、コメディーでしかない。
しかし笑うと不謹慎感があるのは日本人だから?
わたし、前半かなり笑ってました⬅これが他人である監督が撮ったなら別。娘が撮っているのでその意図は明確だし、笑って泣いていいんだと思う。
途中途中出てくる「to doリスト」もかなりしゃれてるし(後からつけたしてんだから…とかイロイロあるmんだけどさ)
なにしろ「死、家族、恋愛、動物、子ども、老い」と凡そ普通の人が絶対に興味を惹かれて観てしまう要素がこれだけ揃っているのだ。
そして「死」は確実に「生きたい」「生かしたい」と思っている人の下で強いドラマになる。
で、やはり言いたいことや、イロイロあるんだけれども、
結局、至極魅力的な作品であることは揺るぎ様がないし(覗き見感覚もあるし)、
映画館でこそ観る作品だと思う。⬅とは言え、沢山の所での上映ではないんだけど。
これは「死」を前にした「不器用な漢」を主におきながら、
家族の「死」をどう受けとめていくのかとゆう「家族」の物語であるわけだ。そしてカメラのレンズを通した末娘(監督)の成長物語か。(そう思えば、亡父も報われる)

フィクションを創る側にとってこれほど困る作品もない。
面白いわけで…(漠)


例の便利なページを利用したら、
早速次の日返信があって、、
ありました、ケータイ。
なぜか、赤坂見附に届けられていて、取りに行くだけではシャクだから、
近郊でやってる、「おとなのけんか」(ポランスキー監督)でも観ようかと思うも時間が合わず、
結果、去年観たくて観れなかった当該映画がちょうどやっているのに駆け込んだのだ。
ここまで書けば、ケータイを救出に行かねばならなかった事実(かなり受動的)より、作品を観に行ったのだとゆう事実(かなり能動的)の比重が大きくなるはずだ。
わたしは決して機械に翻弄されてなんかいないのだ。(届けてくれた方、誰だかわかりませんが猛烈に感謝です。)

2012年03月20日(火)
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