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■ すりかえる。。
『エンディングノート』を観る。
こちらもようやく。末期ガンを宣告され亡くなった漢の死への整理の話を家族が撮っている映画。去年話題になったやつです。 もうこれはフィクションとは言えないし、ドキュメンタリーなわけだけど最終的に監督がいれる手はずがずるいよなあ、、と思う。そんでもってノンフィクションとしてはキレイすぎるよねぇ。 家族が撮ったからこそ、の、映像、映画。そうゆう意味では新しい(?) ここからはカメラ止めて、のあともしゃあしゃあと撮ってあるし、⬅でもそうゆう件があるということは、もっと本当の意味で辛いとこなんかは撮ってさえないかも。。。 これはもう、家族だから訴えられない映像の使い方だと思う。そうゆう意味では作品と言っていいのかどうか。。。 しかし、もう事実なわけであるしいくら視点を変えたとこで「もう死んでいる」ことがわかっている時点で、コメディーでしかない。 しかし笑うと不謹慎感があるのは日本人だから? わたし、前半かなり笑ってました⬅これが他人である監督が撮ったなら別。娘が撮っているのでその意図は明確だし、笑って泣いていいんだと思う。 途中途中出てくる「to doリスト」もかなりしゃれてるし(後からつけたしてんだから…とかイロイロあるmんだけどさ) なにしろ「死、家族、恋愛、動物、子ども、老い」と凡そ普通の人が絶対に興味を惹かれて観てしまう要素がこれだけ揃っているのだ。 そして「死」は確実に「生きたい」「生かしたい」と思っている人の下で強いドラマになる。 で、やはり言いたいことや、イロイロあるんだけれども、 結局、至極魅力的な作品であることは揺るぎ様がないし(覗き見感覚もあるし)、 映画館でこそ観る作品だと思う。⬅とは言え、沢山の所での上映ではないんだけど。 これは「死」を前にした「不器用な漢」を主におきながら、 家族の「死」をどう受けとめていくのかとゆう「家族」の物語であるわけだ。そしてカメラのレンズを通した末娘(監督)の成長物語か。(そう思えば、亡父も報われる)
フィクションを創る側にとってこれほど困る作品もない。 面白いわけで…(漠)
例の便利なページを利用したら、 早速次の日返信があって、、 ありました、ケータイ。 なぜか、赤坂見附に届けられていて、取りに行くだけではシャクだから、 近郊でやってる、「おとなのけんか」(ポランスキー監督)でも観ようかと思うも時間が合わず、 結果、去年観たくて観れなかった当該映画がちょうどやっているのに駆け込んだのだ。 ここまで書けば、ケータイを救出に行かねばならなかった事実(かなり受動的)より、作品を観に行ったのだとゆう事実(かなり能動的)の比重が大きくなるはずだ。 わたしは決して機械に翻弄されてなんかいないのだ。(届けてくれた方、誰だかわかりませんが猛烈に感謝です。)
2012年03月20日(火)
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