再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 よがらない。


意図しないうちに(笑)二月に入り、足利での稽古も佳境だ
集まりの問題など山積はしているけど、週末ごとの時間を費やせる稽古日にどれだけの体験と、関わる準備をできるのかかかっている。
二月からは、連日の日程、
僕らには当たり前のペースも、参加の全員が「当たり前」としているとは限らない。

…演劇ってなんだろうと考える。
台本がある場合、自分が読み取った「人物」の感情に「忠実」に稽古場にのぞむ。
で、相手役、演出、作家、スタッフらが思うそれぞれの「忠実」に照らしてみて、
そこで意識される「差」を理解し、
その「差」を埋める努力をし、
平面から立体的になって(実際に立ち稽古に入って)、平面では解釈しきれなかった感情、状況、そして、他者との関係を発見し、本の奥行を模索する。
思考し試行し発見し続けることで人物は作品は段々とブラッシュアップされ、様々の手助けを借り、お客様の前にお目見えする。(どう客席とアダプトするかも、実は稽古場で試行され、変化をしている)
相手がいる、他者との繋がりが際だって大切なのである。

「表現したい!観てもらいたい!目立ちたい!」
そんな思いから始まったはずの、非常に「自己満足、自己陶酔」的な自分の「忠実」から発進した末、
他者との「誠実な関係」を頼りに、「変化」に敏感になり、客席にまで「誠実」であろうとする。
実は他者に「誠実」でなければ成り立たないのだな演劇って。
だから「独りよがり」ではダメだ。

そういう意味で、「客席」に「誠実」であろうとする時点で、
お金をいただき、そのための時間をもらっている時点で、
プロもアマもない。
やらなければいけないことは決まっている。


政治家に見せてほしい顔は、自分に忠実な顔じゃない。他者に誠実な顔である。……なんてえらそうなことを言ってると、こっちが横っ面を張られるかな。

⬆朝日のコラム天野さん

を見て、そんな事を思ったのだ。
あと少し、だけどやれることは沢山ある。



2012年02月04日(土)



 暴走しない。

今私は週の殆どを栃木県は足利に費やしている。
バイパスなんか走っていると、やはりいるのである、「族」が。例の騒音をふりまきながら、
四五台のオシャレに手を加えられた改造車に、独特の服装の若者がまたがって、道を占拠しツーリング。他人の迷惑をよしとする一団である。
なんだか懐かしい感じと、土地柄だねぇなんて言ってみたりして。

本日も夜、シンシンと冷える道を買い物がえり、
不穏な音が遠くから、空気を揺らしながらやってくる。
あれは、あの音は彼らに違いない、
「いるねー、族だねー」なんて言っていると、
当該バイクが通り過ぎていく…
ああ、暴走族たちよ、この寒い中…
…あれ?

一台。
一台である。
ま、一台でもうるさいのだけれど。

これはもしや暴走族ではないのではないか、

族ではない、なにしろ一台なのだ。
確かに二人乗りはしているのだが、一台なのだ。
詰まるところが「暴走族」ではなく「暴走」だ。じゃあー

「暴走する二人乗りのちょっと変わったカタチの自動二輪車」と名づけてみて、

しかし彼は騒音を立てながらゆっくりと走っているわけで、こうなると「暴走」とも言えないのではにか。ましてここは栃木県で房総ではないし(ダジャレ)、ゆっくり走ることでその後続車を進ませない目的もこの時間の車が少ない場所では成立していない。するとー

「デシベル高く法定速度以下でゆっくり走る二人乗りのちょっと変わったカタチの自動二輪車」だ。

ちょっといい感じになってきてしまった。
こうなるともう問題は「デシベルの高さ」だけである。
発想を換えてそれを「季節もの」と捉えてみる。すると迷惑ですらなくなる、感じなくなる。
あれは乾燥が続く季節の「火の用心」の合図、お土地柄。

そうか。彼らは暴走していたわけではなかったのだ。結論ー

「火の用心を唱いながら寒冬の公道を走る青年二人」

土地愛を持つ青年団の二人なのだろう。
なんだかよくわからなくなってきた…

稽古と外の温度差に、思考停止中ー


2012年02月03日(金)
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