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■ 来ないことにしない。
演技って不思議である。 台本に、「来ない」と書かれていれば「来ない」訳だが、実際にその場で演じる場合には、「来ない」を知らない必要がある。(同じように「来る」と書かれていれば「来る」わけで)て、当たり前の事のようで、間違いがちだ。 「来る」と思ったモノが「来なかった」のと「来ない」と思ったモノが「来なかった」のでは人の感情としても多いに違うはずである。 でも、「ここで奴はこないから、で、こうなって、こうなって、云々」と頭で段取りを組んでしまう。で、そのさして「来ない」から重要ではないとふみ、ただセリフを通過させる。これはいけない。
そんな時、打ち合わせなしでその場に誰かを登場させる事がよくある。大概演じ手は「来ない」はずの所に、イレギュラーで「来た」ことに驚き、戸惑う。で、なんで?と突っ込むと、「いや、来ないはずの場所に予想外に人が来たから…」とのたまう。違うのだ、「来る」のが当たり前ならば、「来ない」ことの方に驚きが生じ、実際に「来た」ことについては「当たり前に」対処しなくてはいけない。要はその登場人物(本人の解釈でなく)の肚の据え方なのだが。。。 勿論、上記の場合だけでなく、書かれ方によって違いはあるにせよ。段取りしてないからできませんではすまない。文字面だけを追っているとこうなりがちだ。役の目的を露わにしなくては、自由が利かない。人間味も舞台に乗らない、ひいてはその場に存在できない。 バックボーンとかゆうけど、ある程度表現に直結できる具体性を持たないと意味がない。(ここがきっと、「頭でっかち」と「考えが身体を通る」の境目か…)
文字通りの表層だけで人の気持ちなど動いているわけないではないか(笑)と、言えば当たり前にわかりそうなことが、そこをこだわらずに決まっていくことがどれだけ多いのだろう。書かれた文を読み、言った言わないの揚げ足取りを繰り返し、「討論」とか言っている輩と変わらんでしないかそれでは。。。 まずは「来ないことにしない」ことから始めるしかないのだな…
2012年01月27日(金)
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