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■ ちょっと思う。
ドーフマンの「谷間の女たち」芝居を創りながら、色んなことに直面する。 取材を受けたりしても、どうしても「チリ」においての話、とゆうだけに限定されがちだ(そりゃまあ、確かに題材だからそうなんだけどさ)、だから南米のそんなことなんて知らないし、難しい。とイコールにされたりもする。 稽古していてもその部分を感じる事はあるんだけどさ(稽古を重ね、識っていくなかで現場は大きく変わっていることは確か) ここに作者の前書き(抜粋)を載っけてみたりして…(しかも別の戯曲からだったりするが、ドーフマンの場合は、書いている作品の根本は同じだから)
どうしたら、抑圧が深い傷になっている国を、はっきりと発言する恐怖が今も強くはびこる中で癒すことができるだろう。どうしたら、嘘が習慣になっている国で真実にたどりつけるだろう。どうしたら、過去の囚人とならずに、過去を生かし続けられるだろう。どうしたら、将来、また繰り返す危険を冒さずに過去を忘れられるだろう。平和を守る為に、真実を犠牲にするのは、正当だろうか?過去と真実が私たちに囁きかけ、呼びかけてくる時に、それを抑えつけると、どんな結果になるのだろうか?そうした状況の下で、暴力は避けられるのか?そして我々すべては、最も苦しんだ人々のなめた辛酸に対して、どれくらい有罪なのか?そして最大のジレンマは、国全体のコンセンサスを破壊せずに、こうした課題とどう対峙するかでる。
以上。 …別に、特殊な国の特殊なことを特殊な人たちがやっている訳ではないとゆうことを、僕は言いたいのだ。
2012年01月23日(月)
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