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■ いろんな夏です。
いつからかフジテレビの日。 我ながら糞真面目だな、なんて思うことがある。 なんだか、真剣に俳優養成とかすることを、あれ?とおもったり、そもそもが、人に何かを言えるよな人間かよ、みたいな後ろめたさだったり、でもそれがあるからなるべく「感覚」だけで喋る事を禁じ手にしてみたり←ほらくそ真面目 うまく、効率よく相手の心に、懐に飛び込む言葉やアプローチはないのかと思って、先人の知恵に材料を得たり、多様なホンを読み漁ってみたり、結果それを熟しもしないで使ってみて、だめじゃん←当たり前だな と思ったり、だから、オリジナルを目指そうと自らにハードルを課して
間が悪い、テンション低い、ホンが読めてない
の三大ダメだしワードを封印←というか、これしか言わないアホタレがいかに多いか… してみたり、でもまとめごろに上記ワードが実は一番便利なのよねと、ふと気づいたり、逆に熟する時間の大切さをしかと実感したり、 そんな事をしながら、まきっと、そんな一つ一つを想像妄想することがもしや、好きなのかもしれないが、 たった一語で、 人が突然上手くなって、かつ気付いて、永続し、 たった一語で、 すべてがかみ合い、かつ絡み合って、伸長し、
なんて言葉を現場で、飲み屋でいつも探してしまう。 そんなモノにすぐにこたえが出せるわけはないのだがね。 演出とゆう歴史がほんの百年強の時間ですら動き続けているにだし、
でもって理詰めが立つと、今度は感覚に戻りたくなるし、 そもそもが、理屈で演劇が成り立つなら、こんな思いをしながら(笑)右往左往しなくてよい訳だし、 いくら、理論、系統打てたところで、そこに安住、または定着、または到達すらできなかったり、だからこそ、いつまでも完成を見ない砂上の楼閣のようなモノだからこそ、人は感銘を受けるのかもしれないし、その行為に没頭できるのかもしれないな、なんて思いを書いてみて、ほら、またしてもクソがつく真面目さなわけで、こういう自分は実のところ、手前が思う何か、から考えれば考えるほど遠い存在になろうとしてしまっているのかもしれない。 演劇バカ(笑)とか。
でも、今回みたいな場合、 そういう質は非常に有効なのかもしれない。 とマイナス思考、石橋を叩いて壊した後、俄然前を向く質(笑)
自由にやってもらう感覚、 だけとられがちだけど、 そういうことじゃないのですよぉ とゆう意味でも。 この端で聴いていると全く無駄のような、この「ホン」のない時間に、 やれること、準備できること、 多いにあり、それが段階をちゃんと追えて行った場合、とても大きな力になることを。 橋を全員で造っている(モチロン、イニシアティブはとりますよ)と実感する、フジテレビの日。
2011年08月08日(月)
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