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■ ま、この文は長居しないでしょう(笑)
なんだかとてもイライラしている。 現場にイライラしているわけではない(ま、勿論、色んな事はおきるし、色々あるけど) 、今、この瞬間何が行われているのかについて大きな興味が動いていないこと、そこに尽きるわけです。 誰もわからない結果を伴う企画に関して、果たして「もう売れている」から良いのでしょうか? 売ったモノに関する責任は誰がとるの? わたし? ま、そりゃ勿論 冠ついてるし、背負うけど、 この非情さ。 そんなことだけを思いながら、 稽古場では若手に相当突き刺さる言葉を吐きながら、それを受け止めている当人、周りと、あまりにも温度差がある。 今、本当に集団とゆうものがその存在意義を試されているとゆうのに。 わかっていたくせに、現場に任せて見にも来ない、先のことばかりな集団。 わたしはダメだと思うのだ。
最終的に言ってくれる言葉は容易く想像できる、 「やってくれると思っていました」 ……… だから? それは既に誉め言葉でもないし、 この現場の在り方を体現してくれている人たちにとっては、 必要性ないってこと? と済まされる事が、いつ届くのだろう… 今年、またモノをつくるはずなんだが、 こっちの興味をなくしてくれるその手法に、なんの演出意図があるのだろう… 人の変化に敏感であること、 人が必死に変わろうとする姿(結果変われないかもしれないが)に当たり前にアンテナを張っていること、 人間を創る仕事なはずなのに、人を創る事が急務な今に何を発信しようとするのだろう。
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2011年05月05日(木)
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