再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 春の稽古。

「修学旅行」キャスト二人変更もあり、
四年目にして、長の稽古期間。
とゆうか、去年も実はあまり取れていなかったし(実質時間)
、今年秋は全然時間が取れず


改めて確認したいこと、二人変わる(しかも、踏襲するつもりなしの役替えにつき)ことで、実際「芝居全体」が変わることを大切に。
ま、そんなことを殊更言わなくても、わかっている現場ではあるのだが。
流石3月にしたワークショップ二日間、このチームでも「芝居をする、つくる空気」にならずだった(時間がかかった)。
テーマとかあるけど、そんなことより「人を元気にするパワー」
底知れない作品。
色んな言い訳すべて無用、
こんなご時世、芝居で食わせてもらってる分の仕事をきっちりとするのである。
ぼくらの本分。
「良い作品を届けること」

稽古場の自由度たるや凄まじ(笑)←現在
…そこまでたのんだっけ…
新加入組に、届け。


2011年04月20日(水)



 CMHパンフレット掲載文


演出の戯言


コミュニケーションとゆうのは、普段当たり前のようにとっている気がしながら、実はとても難しいものだと痛切に感じている。

僕は聴者だ。

だから、本当に聞こえないとゆうことに関しては、想像はすれど、実感はやはりできない。

相手の側にたって、なんて意見が、いかに体よく無責任な言葉であることか…(とはいえ、その想像を捨ててはいかんのですが)

手がかりとして他の方と違うだろう部分は、かつて中耳炎であり「手術をしなければ、いずれ耳がきこえなくなる」とゆう手術を、物心つく前に両親が受けさせてくれたことぐらいだ。

コミュニケーションとは一体なんなのか、聞こえる同士でいれば、聞こえることを前提に相手がどう受けとるのかなんて、結構あさってにして喋っているのが常だし、

こうゆう機会に恵まれ、

初めて、普段どれだけ「耳」に頼って生きているのか、

「会話」「対話」とゆうものを、如何にいい加減に「そこにある当たり前のもの」として「ゾンザイ」に扱っていたか気付かされる。

そして、ひろえさんはじめ、ろうの方々と出会うことで、

普段、どれだけ五体満足な感覚を「鈍化」させて生きているのか、気付かされている。

「言葉」「身体」「感覚」全部使って、「感じあう」ことで

「壁」を越える。

最初に掲げたテーマと真っ向からぶつかっている今。

演劇という行為を、「コミュニケーションの再生」と言った先人もいる。今回は「コミュニケーションの発見」でもある。
とても豊かな時間だ。

真に人間のドラマにまで到達するべく―

 

これは一人の、大橋ひろえと言う、ろうの女性の著作を元にした物語である。
エネルギーに満ち溢れた彼女の、無限の可能性についての物語である。

でもそれは、ひろえさん自身が単にスゴかったからとゆうだけではなく、壁をひとつひとつ越えるのに、ぶつかり、悩み、苦しみ、助けられ、助け、やってきた結果(彼女にとってはあくまで過程!)の積み重ねであり、

立ち止まったり、ため息を吐いたり、前を向いているのがしんどくなったり、小さな痛みや悩みをたくさん持った人それぞれにとって、みんなの物語となれることを望んでいる。

本日はご来場くださいましてありがとうございます。

最後までごゆっくりご覧ください。

 

藤井ごう

 

2011年04月19日(火)
初日 最新 目次 HOME